障害児にスポットを当てた「感動ポルノ」は誰のため?
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感動ポルノとは、2012年に障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会(ABC)のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉である。意図を持った感動場面で感情を煽ることを「ポルノ」(ポルノグラフィ)という形で表現しているが、ポルノ自体は性的な興奮を掻き立てるものに使われる。
ステラによれば、この言葉は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している。そこでは、障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされる。また、紹介されるのは常に身体障害者であり、精神障害者・発達障害者が登場することはほとんどない。
日本においては、2016年8月28日にNHK Eテレが『バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』「検証!『障害者×感動』の方程式」で感動ポルノを取り上げ、裏番組に当たる日本テレビ系列の『24時間テレビ』を批判した。
重度障害児を堕胎することは罪なの?冷たい人間なの?
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昨日の夕方、NHKの首都圏ナビで障害のある子供とその親たちの写真を撮る女性カメラマンが紹介されていました。
横浜の写真家・葛谷舞子さん 葛藤の先の笑顔を撮り続ける | NHK
このリンク先の一番先頭の写真は、見覚えあるなーと思っていたら、一時期アメブロのトピックによく出てきていたダウン症の女の子の写真でしたが、アメブロで見る写真よりも魅力的に映っていて、さすがプロのカメラマンだなと思います。
親御さんの優しいまなざし、満面の笑みを浮かべるお子さん、屈託なく笑う母子の姿。
どの写真も、とても素敵な写真ばかりです。
素敵すぎるくらいです。
まるで「奇跡の一枚」だなと思った私はひねくれているんでしょうね😅
この記事の最後には、女性カメラマンのこんなコメントが書かれています。
「障害のある子と育てている親の笑顔を見せることで、幸せなんだねと思ってもらえることが大切かなと思っています。親子の本当にうれしいと笑っている笑顔を見て、みんなが幸せになってくれたらうれしいです」
この件で、ひねくれものの私は思ったんですよね。
これは一種の感動ポルノじゃないの、って。
この女性カメラマンはこうも言ってるんです。
「障害のある子どものいる家族も、笑ったり、泣いたり、当たり前の毎日があることを知った」
「障害者がいる家族も不幸ではない」
きっと、障害児を抱えている家庭=不幸というイメージを払拭したくて、幸せな姿を発信していこうと思われたんですかね…。
確かに障害のある子がいるとものすごく壮絶に大変ではありますが、そうは言っても24時間365日「死にたい」と思い続けて生活するのはメンタルやられてしまいますからね😂
笑ったり泣いたりくらいはしますよ。
うちの太郎が他の子に噛みついたり叩いたり、他害をするからって、24時間反省しながら泣いて暮らしていたらメンタルやられます。ごめんなさいごめんなさいと心の中で念仏のように唱えながらも、日常生活では笑ってみせなければいけません。子供たちの前では。
辛くても子供の世話を放棄するわけにはいかない。逃げ出すわけにはいかない。
だから辛いわと思っても、現実逃避しながらなんとかやり過ごしているわけです。
そして不幸と思うかどうかも自分の心のもちようかと。
障害児との壮絶な生活は死ぬまで続いていくんだから、不幸だと思ってしまったら救いがないじゃないですか。
だから辛いと思っても小さな幸せを見つけて、自分を奮い立たせているんです。私は不幸じゃないって。
もし私がこのカメラマンさんに、私と太郎のキラキラの笑顔の写真を撮ってもらったとしても、それは99%辛い生活のなかの、ほんの1%の笑顔です。
障害児との生活ってこんなもんじゃない。
むしろ笑っている写真を見て、案外幸せなんだねって誤解されるのもなんだかなー思う(゚з゚)
まあ、そんなことを思いつつも、夕飯の準備をしながらテレビを見ていたんですけどね。
この件をわざわざブログに書こうと思ったのは、このカメラマンが何故、障害のある子供の写真を撮るようになったか、その理由を知ったからです。
障害のある子どもを撮るようになったのは、報道写真を学んでいた大学時代。お腹の子どもがダウン症だと分かると、中絶を選ぶ親がいると知ったのがきっかけでした。この世の中から命が消え去っていくということに悲しみを覚え、ショックを受けたといいます。
ん?
つまりこういうことですか?
障害児のいる家庭は不幸なんかじゃない、幸せなんだよ、というアピール写真をたくさん撮影し、世の中に啓蒙していくことによって、障害児を堕胎しようとしる人を減らしたい、と。
いやいやいやいやいや、まてまてまてまてまて✋
これ、そういう意図だとしたら、撮影されている親御さんももちろんその意図に賛同されているということですよね。
うーん…。
この記事の後半で、低体重で生まれ脳に障害のある状態で生まれてきたお子さんの話も出てくるんですけど、おそらくお子さん、重度知的障害かと思われるんですが、「癌が見つかり、ふさぎこんでいた母親の手を子供が黙って握り続けた」というエピソードが紹介されていたんですよね。
それを見て、ああ、自閉症を伴わない知的障害だと重度でも思いやりの心ってあるんだな。
となんとなく冷めた目で見てしまう自分がいました。
私の死体を乗り越えていった太郎と大違いだな😂と。
うちの太郎は私が病気で臥せっていても「ごはん!ごはん!」と大騒ぎですから😂
なんというか、障害があっても穏やかな性格のタイプの子と、暴れるタイプの子とでは、同じ土俵で語れないと思うんですよね。
障害児育児の良い面だけをアピールして堕胎は悪と位置付けるのはどうなの?と。
いつまでたっても他害がおさまらず、物を破壊したりして、いつか太郎は強度行動障害になるのでは?と恐れながら生きている私。
もし次に生まれる子供(そういう予定はありませんが🤣)に、出生前診断で重度自閉症重度知的障害のあることがあらかじめわかっていたら、迷いなく堕胎します。
※現在出生前診断で自閉症はわかりません
それって罪なんでしょうか?人間として最低ですか?
でも太郎のような子供の育児を一からやる自信はないですね。地獄でしたから、本当に地獄。
自分の子供に対して死ねばいいとまで思っていたあの頃を、もう一度繰り返したいとは思わないし、他の人にもおすすめしない。
障害者への理解が深まればいいと思いつつもエンタメ的扱いはイヤだ
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障害者とその家族について理解を深めるための啓蒙活動は難しいですよね。
感動ポルノが広まるきっかけともなった24時間テレビは、私も自分の子供が自閉症だとわかる前からあまり好きな番組ではありませんでした。
なんとなく、やっている側の自己満足というか、「気の毒な人に手を差し伸べる」的スタンスも見ていて居心地が悪かったからです。
でも一方で、障害者の苦労や困りごとについては、やはりもっと世の中に広めていって、一般の方の理解を得られたいという気持ちもあるわけで。
そうなると感動ポルノと言われようが、24時間テレビのように有名人を多数起用した「客寄せパンダ」的な番組も必要なのかもしれません。
障害に対する無視や無知がいちばん切ないですものね。
そういう意味で、このカメラマンさんの障害者を想っての行動はありがたいものだとも思う。
ただ。
「障害者でも」「障害者なのに」という冠が、外れるといいのになぁと思いますね。
自分自身もこれまで「障害者なのに、ハンディキャップがあるのにすごい!」みたいな、どこか上から目線の見方をしていたことがあったことは否めません。
でも今年のパラリンピックを観て思ったんですよね。
「障害者なのに」という観点はやめて、純粋に競技として楽しんで観るようにしてみようと。
ブラインドサッカーなどは「見えないのにすごい!」ではなく、見えないのに競技として成り立っているのはどんな工夫がされているんだろう?みたいな感じですね。
そういう観点で見ていると、いろんな発見があって面白いんです。
パラリンピックの男子バスケットボールはもう、競技をしているのが障害者であることはほぼ忘れて夢中になりました。
純粋にスポーツとして面白かったからです。
すごいなぁ、面白いなぁと思って観ていたものがたまたま障害者スポーツだった、みたいな感じ。
それくらい、障害者について自然に語られるようになるといいのにな…とは思います。
とは言いつつも、難しい問題ですね。
すみません、すっきりするオチもなく😅
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「お涙頂戴」という概念?意識?まぁ、そういうジャンルがありましたよね。
私はある時からそれが大変苦手になってしまいました。
中二病的なものかと思うのですが、まだ完治しておらず。
ジブリも見たことがありません。
もちろん、24時間テレビは障害者を売り物にして反吐が出ると思っていた時期もありましたし、さすがに今は少し大人になって、無です。
感情を無くしています。
可愛いもの、小さいもの、弱きもの、守られるべきものを商業ベースに乗せられると、一瞬で興醒めです。
私もジブリはあまり見ないんです(笑)
同じですね!マイノリティなんですかね(;’∀’)
24時間テレビの存在意義も理解できるのですが、演出がどうも苦手です。
なんていうか、全体的に上から目線だと思いません?
今はきちんと番組を見ていないのですが、上から目線は確実にありますよね。
当該の番組に限らず障害者を対象とするとどうしても上から目線が外せない。
今までの見世物小屋や隠蔽体質を払拭するためなのか、丁寧過ぎる対応が逆に慇懃無礼となっているような。
本当はリスペクトする必要はなくて、対等なのに、それだと片手落ちだとでも言いたいのね?と自虐的に思ってしまいます。
まぁ、心の中にある可哀想と言う思いが透けて見える(勘違いしている人は思いを溢れ返している)のは仕方がないのかもしれませんが。
ハゲや胸への視線が分かるように、上から目線に敏感なのかもしれません。
健常者だって足りていないのに、という思いを小さな頃から抱いていたので、特に感じるのかもしれません。
日本は生き辛いと海外生活を夢見ていた若い頃の私。
恐らく今ならバリバリの発達障害者として生きているだろう私の、小さかった頃からの抵抗の仕方だったのだと思っています。
そんな思いを何十年も燻らせてきた所にNHKのバリバラが出来て、流石Eテレ✨
攻めてる、攻め過ぎてる番組構成が心地よかった。
小さい頃から教育テレビでなぜか障害者の番組に惹かれていた私は拍手喝采だったのでした。
そう言えば、成人してから会っていない従兄弟がNHKで、何かこぼれ話などあれば聞きたいと思っています。
見世物小屋(;’∀’)
良くも悪くも日本は見世物小屋が好きですよね。
NHKのバリバラの開き直りっぷりは私も好きです(笑)
NHKはスポンサーがついていないため冒険できるのでしょうけど。
だから私はなんだかんだNHKが好きです(^^)
私は24時間テレビ好きですよ。ギャラとかヤラセ感とか批判されますが、そうしなければ何十年も続かないし、実際に寄付金で助かっている人も多い。ヤラセ感があっても知らなかった障害も知る事が出来る。子供達にもその旨説明して積極的に観せています。
サナさんの仰る通り無知や無関心が一番良くないですね。
この記事を書くにあたり、24時間テレビのことも調べました。
24時間テレビが始まる前は、障害者差別が酷かったのだと。確かに私の子供の頃は差別発言をしても叩かれることもなく。
障害者と関わる機会も知る機会もなかったからなのだと思います。
そういう意味で24時間テレビは今でも障害者の存在を世の中の人々に知ってもらういい機会なのでしょう。
そのあり方や見せ方は要検討かと思いますが。
無知・無関心こそが一番怖いことですよね。
私も死んだ真似をした際、乗り越えられた
クチです(^◇^;)。
最近、上の子とよく病気の話をするのですが
「息子君、
“タブレットのパスワード教えて”って
ママが例え死にかけていても言うよね」と
言っていて(笑)。
確かに!と思ってしまった次第です。
私も、もう年齢的にも無理ですが
もう一人授かるとして…知的障害や
自閉症のある子だと分かるならば…
堕胎しますね。
綺麗事じゃ片付けられない苦労があります。
うちも大人しいタイプでは無いので
神経を擦り減らしながらの日々です。
感動ポルノでは無いですが、
幼稚園時代に先生から「息子君が
いるお陰でクラスの子に優しさが芽生えるのよ」
と言われて、ちょっと、モヤモヤしました汗。
うちの子は生きた教材かい⁈と。
悪い意味で言われた訳では無いのですが
なんだか切なかったですね。
上のお子さん、よくわかってますね(笑)
「息子くんがいるお蔭でクラスの子に優しさが~」系はあるあるですね。
先生はもちろんいい意味で言ってるんだと思うんですけど、これは言っちゃダメ系だという認識がある方がどれほどいるんでしょうね。
難しいですよね。悪意があるわけでもないし。
こんにちは
そうですね、いろいろな障害有りますね。
私は、何が普通なのか分からなくなるときが有ります。
人間て弱い!
いろんな障害があるし、大人になってから障害に気がつくこともあるし、私たちもこの先障害者になることもあるかもしれない。
障害を抱えると当たり前のことが当たり前にできなくなるけど、特別扱いされるのもそれはそれで辛いのかな。
人間は強くもあり弱くもある生き物だと思います。強くありたいです。