重度知的障害児の親目線で観た映画「月」の残酷さ

出典:pixabay

先日、映画「月」を観てきました。

原作は作家の辺見庸さんが2016年に起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者19人が殺害された事件から着想を得て書き上げた同名小説。

私は当初、この映画は観に行くつもりはありませんでした。

何故なら、現在は特別支援学校高等部に通う私の息子は自閉症・行動障害のあるIQ30の重度知的障害児であり、この事件で殺害された障害者と同じような障害の度合いであるからです。

私にとって「津久井やまゆり園」での事件は他人事ではなく、息子も将来こうした事件の被害者になる可能性は無きにしも非ず、そう考えるととても怖くて。

怖くて、冷静に映画を観ることなんてできないと考えていました。

ところが、X(旧Twitter)で「観た方がいい」と勧められたこともあり、意を決して観に行くことにしたんです。

これまで目を背けていたけれども、他人事ではないからこそ、観ておくべきではないかと思ったのです。

そして、重度知的障害児の親である私が、当事者目線としてこの映画「月」を観て感じたことを書き連ねてみたいと思いました。

今も自分の中でいろんな思いが渦巻いていて、まとまりがない文章となるかもしれませんがご容赦ください。

なお、この記事にはネタバレが多数含まれますので、内容を知りたくないという方はご注意くださいね。

 

映画館はガラガラ。この映画は本来観て欲しい人には届いていない

私が観に行ったのが封切りから約1か月経った頃で、しかも平日の昼間ということもあるんでしょうが、座席は10分の1も埋まっていなくてガラガラの状態でした。

内容は全く異なっていますが、同じく障害者を題材にした映画「梅切らぬバカ」を観に行った際は、少ないながらももう少し観客がいたな、という印象です。(こちらは封切り後すぐに観に行ったので比較はできませんが)

自閉症とグループホームを題材にした映画「梅切らぬバカ」

「梅切らぬバカ」のときは、観客の年齢層がかなり高めでしたね。

まさに40代くらいの障害の有るお子さんがいる方と思われる、60~70代くらいの年齢層の方。それもご夫婦でいらしている方が何組もいました。

また、私と同年齢くらいの女性も多かったですね。

観客のほとんどが福祉施設関係者か、親御さん。そんな印象ではありましたね。

フィクションとはいえ、なかなか他の人の情報が耳に届かない界隈ですから、藁をも掴む思いで観に来ている方も多いのでしょう。

では今回の「月」はどうかというと。

「梅切らぬバカ」ほどは観客の年齢層は高くなかったと思いました。

私と同年齢か、少し年上、少し年下、といった感じで、高齢の方はほぼ姿が見えませんでした。

そもそも、観ている観客数自体が本当に少なかったのですが😅

観に行く前にいくつかの映画館の残席チェックをしてみましたが、どこも予約する必要がないほどガラガラでしたね…。

その理由は考えるまでもなく。

おそらくこういう映画の観客の大多数は関係者(福祉関係、障害者の親・保護者等)が占めるのでは?と思っているのですが、「梅切らぬバカ」と比べて「月」はというと、積極的に観に行きたいと思う要素が見当たらないんですよね。

それよりもむしろ「観たくない」と思う人の方が多いのではないかと。私自身がそうであったように。

だって、重度知的障害者が殺される映画ですよ。

何か得るものがありますか?

ああ、うちの子みたいな重度の障害者は殺されても仕方がなかったのかと、絶望を感じるために観に行くのかと。

それでもうちの息子くらいの年齢の子の親(つまりは私など)であれば、「こういう施設は選ばないようにしよう」だとか、「やっぱりできるだけ長く自宅で親が面倒をみた方が安心なのか?」などと考える余地もあるのかとは思います。

ですが、「梅切らぬバカ」の時に見かけたような高齢の親御さんは、もうこの「月」のような現実は観たくないという気持ちの方が強いのではと思いましたね…。

そしてきっと、今回この映画を作った作り手の方々は、本当は広く一般の方々に観て、考えて欲しかったのではないか?と思うんですよね。

実際の障害者殺傷事件を題材に、2017年に発表された辺見庸の小説「月」。

本作は、『新聞記者』、『空白』を手掛けてきたスターサンズの故・河村光庸プロデューサーが最も挑戦したかった原作だった。

それを映画化するということは、この社会において、禁忌タブーとされる領域の奥深くへと大胆に踏み込むことだった・・・。

オファーを受けた石井監督は、「撮らなければならない映画だと覚悟を決めた」という。その信念のもと、原作を独自に再構成し、渾身の力と生々しい血肉の通った破格の表現としてスクリーンに叩きつける。

そして宮沢りえ、オダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみといった第一級の俳優陣たちもまた、ただならぬ覚悟で参加した。本作は日本を代表する精鋭映画人たちによる、最も尖鋭的な総力をあげた戦いだといっても過言ではない。

もはや社会派だとか、ヒューマンドラマだとか、有り体の言葉では片づけられない。

なぜならこの作品が描いている本質は、社会が、そして個人が問題に対して見て見ぬふりをしてきた現実をつまびらかにしているからだ。本作が世に放たれるーそれはすなわち、「映画」という刃が自分たちに向くということだ。覚悟しなければならない。そう、もう逃げられないことはわかっているからー。

出典:絶賛公開中! 映画「月」オフィシャルサイト (tsuki-cinema.com)

 

「重度障害者の介護の世界は綺麗ごとでは済まされない」だとか「汚いものには蓋」だとか、強いメッセージ性が感じられる映画の内容だったと思うんです。

でもこれ、肝心な方々には届いていませんよね?

この映画を、お金を出して一般の人がわざわざ観たいと思わないと思うんですが。

いわゆる胸糞悪い内容じゃないですか。

誰がお金を出して気分悪くなりにいきたいのかっていうね。

1年後くらいにテレビの地上波で放送されたときに、ようやく少しの一般人に届くのかもしれない。

でも、作り手の方はこうした事はすべて理解した上で作ったのだろうとも思う。

こうした現実がある事を公にすること。観客の数などは関係なく、赤字覚悟で、使命感のもとにやったのではないかと。

だからこそ、内容の細かい部分に気になる点はあるものの、こうした映画を作った事自体はとても意義のある事だと私は感じました。

 

殺戮の場面では映画館の中ですすり泣きも

映画は主演の宮沢りえさん演じる堂島洋子の目線でストーリーが展開されるということもあり、障害者施設での事件だけにスポットを当てているわけでもなく、途中までは少し中だるみしているなと感じる部分もありました。

深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は書けなくなった元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――

出典:絶賛公開中! 映画「月」オフィシャルサイト (tsuki-cinema.com)

 

深い森の奥にある重度障害者施設という設定だからだとは思うんですが、とにかく施設の中が常に真夜中なの?と思うほどに仄暗い。

こんな暗い場所にずっといると、利用者も職員も皆心身が蝕まれてしまうのではと思うほどで、観ているこちらも胸が苦しくなる。

映画ではより重度の障害者にフォーカスしていることもあるとは思うものの、精神病院の閉鎖病棟を思わせる、まるで牢獄のような描写が多く、背筋が凍るような思いがしました。

太陽の光が部屋に入らないように窓を塞いだ部屋で1日中寝た切りで過ごす女性の障害者は、目もほとんど見えず、喋ることもできず、足も動かず、自力で食事をとることもできず(胃ろうで栄養を摂っている)、鍵付きの薄暗い部屋でただただ横になっているだけの人生を送っている。

彼女は入所した当時は目も見えていたし、自分の足で歩けていたという。

人間の体の機能は使わないと退化するものだから、彼女はこの施設でこんな扱いを受けたことによって、寝たきりの状態にさせられたと言っても過言ではない。

また、「誰も部屋に入ってはいけない」とされ、鍵のついた独房に閉じ込められた”高城さん”という男性の入所者。

ある日大きな物音がした事から職員が部屋の扉を開けてみると、そこにしたのは全裸の体に自分の糞を体にぬりたくり、ひたすら自慰を続ける男性の姿が。

職員たちは「見てはいけないものを見た」という体でそのまま扉を閉めて去っていく。

え、この後どうなったの?

糞まみれのままだと体がかぶれるけど。

というかこの人、食事はどうしてるの?そもそもトイレが部屋にあるの?

部屋にはテレビもオーディオ機器もないし、1日何をして過ごしているの?

こんな独房で部屋から一歩も出られなかったら障害者かどうかなんて関係なく発狂するでしょ?

なんの拷問?重度障害者には人権はないの?死刑囚だってもう少しいい環境で生活してるよね?

殺戮のシーンに至るまでもなく、すでに絶望しか感じられませんでした。

映画はフィクションであり、デフォルメされたものであり、実際にここまで劣悪ではないのかもしれない。

でも、強度行動障害者が鍵付きの部屋に閉じ込められて生活するということは、実はありふれた話なのではないかとも思うのです。

何より恐ろしいと思ったのは、この状況を見た善意の職員が、施設を退職するでもなく、そのまま見て見ぬふりをして働き続けていることでした。

あの殺人鬼だけが原因として起きた事件ではないと感じました。

そして、ついに、その日が来て…。

事件当日、施設の窓ガラスが割られた瞬間、私が思わず自分の口を押えました。

悲鳴が自分の口からこぼれ出さないように。

同時に目から涙が溢れだしました。

そこからしばらく声を殺して泣き続けました。

映画館の中では、声を出して泣いている方もいました。

きっと私と同じ、重度知的障害のお子さんがいる方だったのではないかと思います。

映画の中で、私は自分の息子が殺されているような恐怖と悲しみを覚えました。

私は子供より先に死に、息子を他人の手に委ねなければならない日の事を思うと体が震えました。

 

映画は尻切れトンボ。強いメッセージを盛り込んでほしかった

結局この映画、事件が起きた直後に犯人が逮捕されるシーンで終わったんです。

きっと作り手としては、あえて尻切れトンボ状態にしたことで自分の心で考えてほしいと思っているのでしょう。

ただ何というか、これは私個人の印象となるんですが。

寝たきりの女性や糞を体にぬりたくる男性の他、職員に噛みつく、暴れる、といった、重度知的障害者の描写としては極端なシーンばかりにフォーカスしており、

こんな劣悪な環境で、こんな大変な人々の世話をして、その働きには到底見合わない給料しかもらえなかったとしたら、虐待やネグレクトも仕方がない事と思える。結果殺人につながったことも不幸なことだ。

表面的な事だけから察すると、こうした答えを導き出す人も多いのではと思うんです。

これは間違ってはいないし、だからこそ本来は命を預かり、人格形成に影響を及ぼす介護の仕事は、もっと高額な報酬を受け取るべきであり、それができていないこそ不満や鬱憤が溜まり、結果こうした不幸な事が起きる一因となっているのかと。

働く方の環境を整える事が、障害者を守ることにもつながるのではと。

もちろんお金が全てではないけど、でも映画の中でも主人公の洋子が言ってましたよね。

「私にできる仕事はこれくらいしかない」と。

重度障害者施設の介護人の仕事は誰もやりたがらないから、他で雇ってもらえない人がやる仕事だと言わんばかりの。

本来は福祉にも障害者にも興味のない人が働くことになり、その過酷な仕事内容と、それに見合わない報酬とで不満が募り、そんな中で利用者(障害者)から暴力を振るわれたとしたらどうでしょう?

 

…なんて事を社会全体で考えていこう的な映画だったんでしょうかね。

でも、公式サイトのコメントや一般の方のレビューを読んでみても、なんというか所詮他人事というか、美しい言葉を並べて「難しい問題です」と言って、翌日には忘れているみたいな感じがするのは穿った見方なんでしょうかね。

この映画を一般の人に見せても何かが変わるとは思えないんです。

それよりもこれを政府のお偉いさんに突き付けて、障害者界隈で働く人々の報酬を上げるためにはどうすればいいか、具体的な案を出すように詰め寄った方がいいかと思うんですけど。

まあ、そう簡単な話だとは思いませんが、この映画を観た関係者(福祉関係者・親・保護者等)は皆さんどんな風に感じたんでしょうか。

 

私は、グループホームや施設は保育園の待機児童のように、ずっと入所待ちで待たされる…という話をよく耳にするので、タイミングがあれば早く入れてしまおうかな、なんて思っていましたが。

この映画を見て怖くなりました。

できるだけ長生きして、私たち夫婦の頭と体がしっかりしているうちは、手元においておいた方がいいのかとも思ったくらいです。

きっとこの映画に出てきたような施設は極端なケースであり、障害者のために心を尽くして働いてくださっている方々には、私が今回書いたようなブログの内容は失礼にあたるのではと思いますが。

 

あ、あと。

映画の中で犯人が重度知的障害者には心が無いって言ってましたが、心はあります。言葉が喋れなくても心はあります。

 

 

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重度知的障害児の親目線で観た映画「月」の残酷さ” に対して12件のコメントがあります。

  1. 匿名 より:

    ゆるりんです。私も見たいけど、見ていないです。映画の紹介のサイトで元やまゆり園の職員の人が実際のやまゆり園とは違って腹がたったというようなコメントを見ました。事件の時にネットニュースを見ていたら、実際のやまゆり園は夏祭りには地域の人を招待している開かれた施設だったみたいです。人数が多い施設だったみたいで犯人も全ての利用者を知らないからだと思うけど事件の時に犯人が職員にこの人は喋れるのかと聞いて、その職員は喋れないのに喋れると嘘を言って守った職員もいたそうです。犯人も保護者の人が事件前は利用者さんの様子を保護者に話したりして熱心な様子だったみたいです。本当かはわからないけど犯人が利用者が溺れそうになったのを助けたのに保護者からお礼の言葉がなかったので、あんな事件を起こす考えになったとネットニュースに書いてあって、作業所の職員さんには文句よりお礼を言わないといけないと思いました。今、問題になっている恵のグループホームに入れる寸前でやめていました。今のニュース聞いてやめといてよかったです。利用料1ヶ月6万円ぐらいでした。そんなに金とってご飯とふりかけだけだったみたいですね。他にも不正や医師の訪問医療を利用する説明は聞いていたけど、ネットニュースで親に内緒で薬を増量すると見て本当にやむてよかったですが、他に日中型のグループホームはなかなかないので恵が改心してくれることを祈っています。長々とすいません。

    1. 稲倉サナ より:

      そうですよね。
      映画の施設は本当に牢獄のように閉鎖的で、職員もさとくん(磯村さん)と主人公(宮沢さん)、その同僚(二階堂さん)、そのほかには虐待をしていた2人の男性くらいしか出てこなくて、いわゆる普通の職員さんはほとんど描かれていなかったのでずいぶん偏った内容になっているかと思います。
      ちなみに喋れないのに喋れると答えた職員は二階堂さんが演じた職員だと思います。
      この映画はかなり脚色しているものの、やまゆり園をベースにしているということで、本当にこんな施設だったのかと勘違いする観客もいそうだとちょっと心配になりました。(実際私もフィクションとはわかっていても、本当にあった事のように感じて観てしまっていたので)
      最近はネットニュースでいろんな施設やグループホームの事が話題になっていますよね。
      法人ぐるみでやっていることなのか、個人の問題なのかはケースバイケースですが、こうしたニュースが出てくるたびに暗い気持ちになります。

  2. 匿名 より:

    サナさんおはようございます。
    性教育の記事を読む前にこちらに寄り道してしまいました。
    私も『月』を観ました。見なければならない気がしていました。私の妹も多分あそこにいたら殺されてしまう側であったと思うと背筋が凍ります。とても身近に感じました。小説はきぃちゃん目線の作品だそうですけど、どんな感じなのかしら?と思いました。私はスプラッター映画が苦手だから、後半そのような表現だったらどうしようか、と思いましたが、どうにかこらえることができました。言葉がないから、心がないというのは、言葉を使って生活している側の言い分で、それは偏った穿った見方だと思いました。言葉のある側が言葉がない側に寄り添っていないからだと。強度行動障害や二次障害や障がいが介護の仕方によって重くなる場合等は、支援者や介護者がそれを招いていると感じることがあります。接し方を変えれば、良い方へ変わるのに、支援介護側の理屈で悪い方へ進んでいる。私はそれを止めたいと思いますが、なかなか障がい福祉、教育、子ども愛フェチの人はいないみたいです。難しい問題です。こんな仕事しかない、ではなくて、それが一番難しい仕事なんだと分かっている人は少ない気がします。長々と感想書いてしまいました。また寄らせてもらいますね。

    1. 稲倉サナ より:

      コメントありがとうございます。
      小説はきぃちゃん目線だったんですね!だとするとなおささら、きぃちゃんには「心がある」ということですよね。
      どんな小説なのか怖いような気もしますが読んでみたくなりました。
      購入するので、読んだら感想などUPしますね。
      行動障害者はもちろん、知的障害のある方は接し方一つで障害が重くなってしまうと私は思っています。
      実際うちの子もわりとしっかり本人に何でも取り組ませていた幼児期の療育、小学生の頃はとてもできる事が増え、本人の能力も伸びていったのですが、高等部に入ってからは退行しているように感じます。
      (うちの高等部は軽度の子の就労関係について手厚く、重度の子に対しては後手後手で対処しているような状態のためです)
      「この子はどうせできないから」と、自分でやらせなくなるとどんどん退行していくと思います。
      この映画のこの施設に入っている人々は、もとはもっといろんな事ができた人たちだったんじゃないかと想像しています。
      強度行動障害がある場合は、まず対応するだけで大変だとは思うのですが…。
      そうなると制度の問題というか、行動障害・強度行動障害に関しては報酬が加算するような制度ができれば少しは改善されるのではと思うんですが。
      このままでは重度障害者、行動障害のある障害者を敬遠するような流れになっていきそうで怖いです。

  3. 匿名 より:

    こんにちは
    介護の世界は、綺麗事ではいかない事が多いよ
    これでは駄目なんだよね

    人手が足りない
    時間で動く
    低賃金
    相手に嫌なことされたら、腹が立つ!

    映画とずれた感想になってしまった。
    安心して預けられるようになって欲しいです。

    こーでした

    1. 稲倉サナ より:

      いえいえ、映画とずれていないです。本質的な事を書いてくださっていると思います。
      重度知的障害者、それも今回の映画の舞台になった障害者施設は強度行動障害がある障害者など、より介護に負担のかかる環境にあるんですよね。
      過重労働や低賃金に加え、障害者から暴力を振るわれるような事があるとしたら。
      「やってられない」という気持ちになるのは想像に難くないです。
      この環境が改善されない限りは、こうした問題が解消されることはないと思っています。

  4. おばさん猫 より:

    “月”。観たいなぁ…と思っていたのですが、なんと我が家のある田舎ではやってないと言う_| ̄|○。なので、感想をお聞かせ頂き助かりました。しかも大好きなサナさんの感想(^_^*)とても参考になりました。

    以前観たいなぁ、と思った時にyoutubeでひろゆきさんの“月”に関する感想動画を見ました。
    結構胸にグサリと来て、数日間ずっと考えてしまいました。

    自分に関わりの無い障害者は、誰かがお世話して欲しいけど、自分の周りに障害者は欲しくない、みたいな(すみません、まだ自分の中で咀嚼仕切れてなくて)。
    相模原の事件の時も出産前診断で障害が分かったら産まない決断をする事に関しての議論があったそうですね、私、全然知らなくて。

    言葉が無いから何も感情が無い、とか私もそれは違うと思うんです。私達だって、100%言葉で気持ちを表せてるなんて思いません。言葉が全てなんておかしいです!

    何が何やら分からないコメントでごめんなさい。障害を持つ子どもの親として、なんともやるせない、そして考えさせられる映画だと思います。

    1. 稲倉サナ より:

      「月」は上映館が少ないですよね。内容が内容ですし、観客動員数も見込めないからだとは思いますが。
      公式サイトにもひろゆきさんのコメントが掲載されていますね。
      >『人の命は平等』と嘯く人も、自分の手は汚さず、誰かに負担を押し付ける社会。そして、見て見ぬふりをしてるのは貴方も一緒ですよね、、と、観客まで立場を問われる映画。
      観客まで立場を問われるというよりかは、まさに立場を問う映画なのだと思いました。
      実際に障害者が身近にいない人は、きっと数日後には興味を失ってしまうだろうかと。
      出生前診断の件も優生思想から派生した話だとは思いますが、私は似て非なるものだと思いますけどね。
      私自身、子供に障害があるとわかっていたら産まないと思います。
      もしも映画のあの障害者たちのように、ただ生きているだけの生活を強いられるような未来がわかっていたら、絶対に産まないです。
      けど、生まれた瞬間から人間には心が宿り、その子はもう親の所有物でもなく、一人の人間なんですよね。
      だから生まれた後に障害が有る事がわかったとしたら、そこからはもう「生まれなければよかった」とかそういうことは無しで、一人の人間として幸せな人生を全うできるように支えていかなければならないのだと。
      言葉が無いから心が無いと思っている人は、表面的なものしか見ていないんだと思います。

  5. stairs より:

    「あの殺人鬼だけが原因ではない」、まさにその通りです。同じ思想の人は私たちの身の回りにもいて、ただ彼らは発言したり行動したりしないだけ。
    私は長女妊娠中、仕事関係の女性から「30過ぎの妊娠は障害児の確率が高い。あなたの産む障害児に、なぜ真面目に働く私たちの税金が使われるの? 常識があればとっくに堕胎しているのに、産むのね。あなたみたいに自己中で非常識な女は見たことない」と言われました。仕事のできる人でしたけどね。

    1. 稲倉サナ より:

      そんな事を面と向かって発言する人がいる事い驚きを隠せません。
      優生思想を隠そうともしない人がいるんですね。
      そういう人は自分が障害者になって働けなくなったらどうするんでしょう。
      想像力が足りていない人がなんと多い事か。
      …なんて言いつつも、私自身も子供が障害児だとわかるまで、自分と直接関係ない事に関しては興味が薄かったと反省することばかりです。

  6. 匿名 より:

    いつも、ありがとうございます。

    私には、まだ見ることができません。
    オフィシャルサイトのレビューを読みましたが、コメントが人それぞれなことが世の実態を表しているのだと思いました。
    原作を読むことも迷っています。
    ・・・・・・
    もう一度、このブログを読み直して、「月」を見ることも読むことも止めました。
    一日でも長く孫の面倒を見ることだけを考えます。
    孫は素晴らしい笑顔があるので

    1. 稲倉サナ より:

      私たちのような障害者の身内にとってこの映画は必ずしも観なくてはいけないものではないかと思います。
      障害者が虐げられる姿を見るのは辛いものがありますし。
      障害者をめぐる環境を改善し、障害者が幸せな生涯を送れるようにしてほしいと願うのは他でもない、私たち自身ですから。
      映画を観ても観なくても、子供(お孫さん)が幸せに暮らしていけるよう、選び、導いていくしかないですよね。
      私たちが今できるのはそれくらいしかありません。

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