他害児の我が子にとって”特別支援教育の分離”は不可欠
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他害児のいるご家庭のみなさーん。お待たせしました☆
…って軽いノリで自分を奮い立たせていないと涙が溢れそうになるから😂
自閉症の息子・太郎もあと1年半もすれば成人です。
今さら劇的な成長など願ってなどいません。
ただただ、人に迷惑をかけないような生き方をしてくれればいい。
支援してくださる方々に愛される人であればいい。
でも…他害がある限り、そんなささやかな夢すら実現することは不可能なんですよね。
他害はつづくよどこまでも?
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こちら☟の記事で、最近では他害もずいぶんおさまってきたと書きました。
確かに、乳幼児期に比べると格段に良い状態にはなっていると思います。
他害をする頻度も、その内容も、昔に比べると可愛いものだと思います。
でも。
完全には無くならないんですよね…。
他害を起こさないように、できるだけ本人のストレスを取り除くように、きつく叱ったりすることもなく、それこそ腫れ物に触る勢いで太郎に接してきたんです。ここ数年は。
その甲斐もあって、他害の件数は格段に減ってきました。
でも、件数は減っても無くならない。
逆に体が大きく力が強くなったことで、昔よりも相手に加えるダメージが大きくなっているような気がします。
他害を起こしたという連絡がくるたびに、背筋が凍るような気持ちになるのです。
いつか誰かに、とんでもない怪我をさせてしまうのではないかと。
しかも最近はちょっとした事で切れやすくなっていて、何がスイッチになったのかわからないということも少なくありません。
今は福祉関連の方や学校の先生、親など、必ず障害に理解ある人がそばにいる状態なので何とかおさまりがついていますが、高校を卒業した後のことを考えると憂鬱です。
相手を怒らせてしまって、そのことでさらに太郎がヒステリーを起こし、暴れ、強度行動障害を引き起こしてしまうのでは…などと想像するだけで涙が止まりません。
環境が本人のレベルとマッチングしていないことが原因か?
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それにしたって、家では腫れ物に触るように優しく接しているし、学校では先生だけでなく同級生にまで対応に気を付けてもらっているというのに、どうして太郎は定期的にキレ散らかしてしまうんだろう、と不思議で仕方がありません。
幼少期の太郎が他害を起こしていたのはおそらく、言葉が話せないことがいちばんの原因だったかと思うのですが、現在の太郎はというと、言葉こそ2歳児程度の会話力しかないものの、「相手が何を話しているか」ということに関してはずいぶん難しい内容も理解できるようになっています。
自分の気持ちを伝えることも、単語や二語文程度ではありますが、「言葉で伝える」ということもできるようになりました。
けれども、ふと思ったんです。
もしかして、太郎の現在の居場所が、本人にとっては居心地のよいものではないのでは?と。
学校のクラス懇談会では、担任の先生がクラスでの様子を教えてくれるのですが、私はいつも思うんです。
「うちの子だけが赤ちゃんみたいだな」って。
太郎以外の子は小学校高学年~中学生程度の日常会話ができて、互いにお友達関係を築けてている。
先生とも普通に会話ができて指示が聞ける。
問題行動多発の太郎のような子を気遣うこともできる。
え?特別支援学校の高等部ってそんなにレベル高い子ばかりなの?
と思われるかもしれませんが😅
同級生たちのレベルが高いのか、太郎のレベルが低いのかは知らんけど(゚з゚)
うちの太郎がIQ30の重度知的障害にもかかわらず、IQ50~60くらいの子たちと同じクラス・同じ授業を受けているため、そんなふうに感じるのだろうと思います。
特別支援学校はどこも似たような感じだとは思いますが、太郎の学校ではクラス分けをする際にざっくり同レベルのIQの子を同じクラスに集めています。
本来ならば太郎は最重度・重度知的障害のクラスに配置されるはずなのですが、実際は中度知的障害の子たちと同じクラスに配置されています。
それは太郎が勉強面において、中度知的障害の子と同程度のことができるからに他なりません。
まあ、中度知的障害の子と同レベルといっても、中度の子の中にも勉強が得意な子、苦手な子がいるので、一様には「同レベル」と言いづらいものもありますが😅
ただ、板書ができて、小学生レベルの読み書きができて、計算も小学校中学年程度のものはできて。
(太郎は分数の通分ができたり、分度器や計算機を使いこなすこともできます)
中度知的障害の子の中には勉強が苦手な子もいるため、クラス編成をする際に参考にしている筆記テストで、そこそこの点数を取れる太郎は、実際のIQよりも高めの数値として判断されているのかと思います。
太郎は自分よりも高いIQの子たちに囲まれて、授業では先生や周りの子たちの会話にはついていけず(何を話しているかはわかっているとは思いますが)、なんとなく、疎外感というか、劣等感というか、そういう類のものを感じていたりするんじゃないのかな…。
けれども、太郎は自分の気持ちを、複雑な想いを言葉にすることができないため、私は太郎が日々何を感じているのかが何もわからないんです😂
わからないけど、でも、太郎よりもずっとコミュニケーション能力が高い子たちがうまく関わってくれて、日々の行動面でもお手本になる子がすぐ近くにいて、問題があるどころか、太郎の能力を本人の実力以上に引き上げてくれる、そんな同級生たちに囲まれて。
ここは太郎にとってはいい環境なんだろうと、信じて疑わずにいたんです。
でも。もしかしたらそれは壮大な勘違いだったのかな😂
授業内容が中度知的障害の子向けのものだとしたら、太郎は目的も理解できずに、ただ指示通りにこなすことが精いっぱいだったのかもしれない。
味噌っかすで、落ちこぼれで、周りの子が笑っていても自分には笑いのツボも意味もわからず、場違い感を感じていたとしたら。
それがストレスとなり、他害につながっていたとしたら。
本人の知的レベルに合ったクラスに在籍した方がいいのかも?
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もしも本来のIQにふさわしいクラスに在籍することができたら、太郎ももっと気楽に安心して過ごせるんじゃないの?
考えてみると、太郎の他害の対象はいつも中度~軽度知的障害の子、定型発達の子、先生、健常の大人など、いわゆる口が達者な人なんですよね。
重度や最重度の子相手に他害をしたことはありません。
それは相手の方から関わってくることがないからなのかもしれませんけど。
太郎は会話ができず、友達を作ることもなく、大人が間に入ることがなければ誰かと一緒に遊ぶことができません。
基本、いつも一人で行動しています。
だったら、誰もが太郎のように一人でいることが当たり前の、重度・最重度のクラスにいた方が太郎は居心地がいいのでは?と。
思えば太郎の他害が一番酷かったのは、太郎以外の全員が健常児だった幼稚園時代なんですよね。
当時私が書いていた日記を読むと、太郎は次第に幼稚園に行き渋るようになり、一方で少人数制の療育では生き生き楽しそうに過ごしていたのだと。
就学して太郎が少人数制の特別支援教育を受けられるようになったことで、私は心底ほっとしましたよね。
だからこそこれ☟
「障害児は分離され、通常の教育を受けにくくなっている」国連、日本政府に“分離教育”やめるよう要請 | ハフポスト NEWS (huffingtonpost.jp)
こんな戯言はカンベンして欲しいとしか思えないです、私は。
分離の何が悪いのかと。
例えばですが、重度知的障害の子が普通の高校に通って、同じ授業を受けることに何の意味があるのでしょう😂
お互い辛いだけだと思います。
国連の方々にはぜひうちの太郎と24時間365日一緒に生活して、それでも同じことを言えるかどうか再度検討してほしいとすら思います🤣
エコラリアがうるさすぎてテレビの音も聞こえないですからね。
じっとしてられなくてくねくね落ち着きないですし。
きっとまともな授業にならないと思いますよ☆
ああでも、この記事に書いてある「障害児」は学力的には普通高校にも入学できるレベルの軽度知的障害か、知的に遅れのない発達障害を想定してるんでしょうかね?
そもそも重度・最重度知的障害児は想定していないとか?😂
もしも健常児と同じ内容の授業を受けさせるとしたらそれ、重度知的障害の子にとっては虐待ですよ。
例えば太郎が普通の高校で微分積分の授業を受けさせられるとしたら、それはもう拷問レベルですよね😂
意味がひとつもわからない授業を、静かに、喋らず、体を揺らさず、じっとひたすら1時間弱、耐え続けなければいけないんですもの。
特別支援学校があるからこそ、太郎も私も安心して毎日過ごすことができている。
それでも「今のクラス分けは正解なのか?」と、悩みは尽きませんが😂
とにかく、いつまでたってもおさまらない他害を、なんとかしたいと真剣に考えています。
他害が残ったままでは、就労も、グループホームや施設も、受け入れてもらえない可能性もありますから。
とりあえず太郎のストレスを取り除けるように、学校や家庭での太郎をめぐる環境について今一度よく考えてみようと思います。
近々担任の先生にも相談してみようと思います。
国連のこの要請は日本にだけなのでしょうか。
また、このニュースが多くの人目に触れるように報道されているとしたら、それは国連ではなく国内の誰かの意思が大きく働いているのかな、と思います。
私は子供の頃から外国の教育現場を扱ったドキュメンタリー番組を多く見てきましたが、殆どがアメリカ、イギリス、そして、北欧での取材。
先進国で豊か、そして福祉に重きを置く宗教感。
二、三十年前の最先端の障害児教育で素晴らしいと思えるような学習環境。
当時のトレンドなのか、発達障害にフィーチャーしている番組が多かった記憶です。
また、どの国も日本と比べると子供たちは自由に動き回り、整列という概念もなく、また、敬う態度ではない、しっちゃかめっちゃか無法地帯とばかりの中で学習していましたね。
知的障害児を扱う時はダウン症が多く取り上げられて、その特性の一つとも言える穏やかで害のないという表現か好まれ、番組の方向もその路線。
何事も、ある一面が切り取られて、垣間見る事は出来るけれど、それをもって全体像は同じとは考え難いと思っています。
やはり、作られたものはある一定の「意思」が働いてしまいますから。
サナさんのおっしゃる通り、国連のいう「通常の教育を受けるべき障害児」は限られているのかもしれませんね。
でも、それならうちの地域は二十年前くらいから、ほぼ軽度知的の子供たちはほぼ同じ教育を受けてきています。
我が家はIQ60ですが、地域に養護学校がなく、小、中は地元の公立校の支援級。
ほぼ交流級で過ごした小学校時代は、敢えて言うならばいじめと偏見にさらされて親子で地獄でしたよ。
低学年の頃は親のみが地獄、中、高学年になって色々と分かってきた頃からは子供はよく泣いていました。
これを国連が推奨していると言うのなら、誰か爆破してくれないかな、その形骸化した無用の長物でしかない国連ってヤツをね。と激しく思います。
国連なんて、真摯に働いている方には申し訳ないけれど、国と国の利権争いの最前線の場といういう印象しかありません。
それでも、日本の義務教育は全世界に誇れるほど運動、芸術、学習においてトップです。
識字率、計算能力高すぎるレベル。
市井の人の知識の量も半端ではありません。
全てを個人の財力に任せていて、貧富の差身分によって差別し続けているヨーロッパを筆頭とした先進国の国々とは全然違う、奇跡の国、日本に誰が何を意見するのか、と思う。
それでも、障害児への偏見や侮蔑を少なくなってきたのはその外国の恩恵でもあり、感謝の気持ちもありますが。
理想の教育現場を実現し、より良くする必要は永遠と続くので、その一環と思うしかないですよね。
少なくとも、私の経験した限りでは、障害児にも同じ教育を授けるためには、先生の育成にもっと力を入れる事、先生のお給料をもっと高額にすることが先決だと思います。
ですよね。
欧米がインクルーシブ教育が成功しているというのであれば、具体的にどんな風に実施しているのか教えてほしいものです。
日本は学校だけインクルーシブにしたところで、社会に出ればふたたび分離状態になりますよね。
法定雇用率をあげでも、特例子会社を作って障害者だけを集めて…ってなりますよ。
単に学校だけ、教育だけの問題じゃないんです。
国連がなんと言おうが、物理的に無理なものは無理であって、きっと何も変わらないんでしょう。
こんばんは
国連言ってますね、日本政府どう動くか?これから大変!
みんな一緒に出来れば苦労はないんだけどね。
それを望む親も居るんだよね。
これから先生になられる人たちは、障害の勉強もしないといけませんね。
笑いのつぼ人それぞれ、太郎くんのつぼに当てはまらないのかも。
他害は、年と共に弱まると言っていた人がいたけど、きっとなかなか分からないんでしょうね、健常者でも急に切れる人いますからね。
国民性とかお国柄がありますからねえ。
日本は確かに障害者との共存は遅れているとは思います。
でも知的障害者が完全に普通の子の中に混ざることは難しいし、まず障害児本人がそれを望んでいるかどうかもわからないケースが多いと思うんですよね。
定型発達の子だって高校生になると学力別に分離されていますからねえ。
勉強が苦手で偏差値30くらいの子が偏差値70の学校に1人混ざって勉強することになったら辛いだけだと思うんですけど。
どうも「障害児」「障害者」が絡んでくるとすぐに差別だと騒ぐ人が出てくるなと感じます。
差別じゃなくて適正な区別だと思うんですけどね。
サナさん、こんにちは。
この問題には色々な意見を持つ方がいるのは承知のうえで、我が家は「分離してもらいたい」「分離してもらわなければ、心身共に健やかに過ごせない」派です。
IQ48。中度知的障害&自閉症の息子の通う特別支援学校の高等部は「平等」の名の元に全てのクラスに重度〜軽度の子がいます。
息子にとっては大変なストレスです。
話すのは達者なのに、読み書きができないことを、できるクラスメイトに指摘されてはコンプレックスをつのらせ。軽度の子と友達になりたくてもグループLINE(これがあるのに、心底驚いた!!)ができなければ、ちょっと無理〜と遠回しに拒否られ。
高等部は全然楽しくない状態です。
逆に実習で行くB型就労先には行きたくてしょうがない状態です。なぜなら似通ったタイプしかいないから。
No分離を選ぶのが間違いとは思いませんが、「分離OK」を選ぶ権利も認めてもらいたいです。
分離されているからこそ、心やすらかに過ごせるタイプの子供がいることを、ぜひお偉いさん達にも理解していただきたいです。
尚、高等部でストレスMAXの息子は幼稚園時代のような他害は(まだ)していませんが、代わりに雄叫びをあげる。自分の腕を噛むなどの自傷行為をはじめ、ほとほと困っています。
平和が欲しい!
本人らしく生きることのできる居場所が欲しいだけなんだよ〜〜〜
わあ、すべてのクラスにおしなべて重度〜軽度の子がいるんですね!
それは大変そうだ…生徒も先生も(;’∀’)
ちなみに一部の授業が習熟度別になっていたりはしますか?
軽度の子はグループLINEやっていますよね。みんなスマホを持って登下校中にポチポチやっています。
別世界だぁ~と思いつつ眺めています。
中学生までは普通級にいたような子も高校からは特別支援学校に進学するケースがあるので、限りなく定型発達に近い子もいて驚きます。
コンプレックス、ありますよね…。
多分うちの太郎も重度なりにコンプレックスはあるみたいなんです。
同じ年齢の子が、自分ができない事も軽々こなせていると、それなりに悔しい気持ちはあるようで。
やはり、他害もそうですが自傷にもつながったりしています(´・ω・`)
適正な分離で救われている子は多いと思うんですけどね…。
無理矢理普通の学校でインクルーシブ教育をやろうとしても、知的障害のある子が同じ内容の授業を受けられるわけもなく、結局は特別支援学級のようなものを作らざるを得ないのでは…というか、そういう歴史を経て、現在の形になったんじゃないの?って思います(;’∀’)
国語と数学は習熟度で分かれています。
でも総合学習などはクラス毎の活動になるので、皆の前で読む学習になると息子のメンタルは一気に崩壊して(豆腐メンタルだからな!)帰宅すると長時間の繰り返し泣き言コースに入ります。
「なんで僕はできないの」「生まれてこなければ良かった」「不良品なんだ」等々。
カウンセリングの先生は、「思春期で自我が目覚めてきているからです。成長だと思って受け止めて」と言うのですが、母親としては胸が潰れそうになる言葉のオンパレードに、えびコロッケもしなしなになっています。( ;∀;) でも母ちゃん頑張るぜ!
習熟度は国語と数学だけなんですね。
他がすべてクラスでの活動というのは厳しいですね…。
そして母がサンドバッグのように耐えねばならないのはどこも一緒ですね(ノД`)・゜・。
でもシナシナのえびコロッケを想像して少しニヤけてしまいましたが(*’▽’)