私の心に棲みつく悪魔
出典:pixabay
どんなお子さんであっても、無償の愛情を与え、慈しむ親御さんはいらっしゃると思います。
そういう方からすると、今日の内容は眉をひそめてしまう内容かと思います。
子供に対する黒い感情をつづっています。
そういったものはちょっと…という方は読むのをお控えください。
発達障害児である息子の幼児期は毎日が地獄
出典:pixabay
多動で他害、自閉症特有のこだわりが強く、常同行動が多く、ときには自傷行為もありました。
家の中はいつも荒れていて、絵本は本棚から片っ端から落とし、落とした絵本は全部食いちぎって舐めて溶かしてボロボロ。玩具も箱から全て出され、そこら中に放り投げ、リビングの壁や床は穴だらけでした。
壁紙もあちこちが破られていました。出窓の桟の部分は息子の歯型で傷だらけでした。
玩具は買っても買ってもどれもが原型をとどめないほどバラバラに分解され破壊さればらまかれ、
部屋の中は常にゴミ屋敷のようでした。
偏食はひどく、決まったものしか食べないだけでなく、異物食いもありました。
紙とかティッシュとか…。絵本の大半は息子が食べてしまっていました。
自閉症のこだわりから、外出する際は毎回同じ道順でなければなりませんでした。
違う道を通ることを許さず、少しでもイレギュラーな事が起きると、狂ったように泣き叫びながら暴れるのです。
車で運転中、道路が工事中でやむなく迂回した所、泣きわめきながら暴れ始めた息子に首を絞められたこともありました。
公園では知らない子に噛みつき、突き落とし、順番は絶対に守らず、危険とされる遊び方を片っ端から試し
幼稚園では1日に何人もの児童に噛みつき、傷つける。
私はお迎えに行く際、いつも死刑宣告を受ける受刑者のような気持ちで行っていました。
今日は先生から何と言われるだろうか。何人噛んだと言われるんだろうか。
1日のなかで最も憂鬱な時間でした。
息子がやらかすたびに毎日毎日頭をさげ、ごめんなさいすみませんと謝り続け、
かといって息子に行動を注意すると、
今度は息子が自分の頭を力いっぱい殴り始める。
泣きながら息子は自分自身を痛めつけるのです。
手をつなぐのはもちろん抱っこは嫌い、体を触れられのも嫌い。
母親である私には興味の欠片も示さず、滅多に家にいない父親に強い愛着を示し、
私は息子にとって「ご飯を作る人」くらいの存在で、ご飯の時間以外は常に無視されていました。
盆や夏休みなどの長期休みに、夫が長い時間息子と一緒に生活を共にし始めると、
息子はおむつ替えなどの一切の世話を、母親である私にはやらせなくなります。
大好きな父親以外を拒否し始めるのです。
ある時、夫が席を外しているあいだにオムツ漏れをしたので、おむつ替えをしようと息子の身体に手をかけたとき、
息子は身をよじり、大声で叫び声をあげながら夫の方へ逃げていきました。
まるで、それは誘拐犯から逃げ出す子供のようでした。
普段お世話をしてくれる母親を拒否し、
ほとんど家にいない、休みの日に遊んでくれる父親だけが、
息子にとっての家族なのです。
あまりの情けなさに、涙すらでませんでした。
毎日遊びに連れていき、周りに頭をさげ、ご飯を食べさせてお風呂に入れて、オムツも替えて。そういうのを全部、やっているのはこの私なのに。
多忙な夫は家には寝に帰るだけの生活で、子供のことは無関心。
相談しても途中から寝てしまう、そんな父親でも息子にとっての家族は夫だけなのです。
私は息子の視界にすら入っていない。
言葉を話すこともなく、野生のオオカミのような息子を監視するだけの暮らしは、何の希望もなく
私は毎日死ぬことばかりを考えていました。
もし死ねるのであれば、私は1人で死にたい。
よく子供の将来を悲観して無理心中をする母親がいるけれども、
私は死んであの世までこの子と一緒にいたくはない。
この子のいないどこかへ行ってしまいたい。
朝、ベッドで目が覚めるたびに、ああ、今日もまだ生きているんだ。と、絶望する毎日でした。
あの頃の私は息子のことを可愛いとは思えませんでした。
いなくなってくれたら楽になれるのに。
最低の母親です。
それでも毎日毎日、とにかく子供を死なせないように、最低限のお世話をしながら、一日一日をやり過ごしてしました。あるのは義務感だけ。そこに愛情はありませんでした。
子供を可愛いと思えない自分を悪魔だと思いました。
異常なんじゃないかとも。
私が息子のことを愛することができる日が、いつか訪れるのだろうか?
そんな日はまったく想像できないほど、
一日一日、早く時間が過ぎてくれないかと
そればかりを考えて生きていました。
月日が過ぎ、息子が小学校高学年になる頃には、幼児期に比べるとずいぶん落ち着いていました。
それでも相変わらず会話はできず、たまに他害もあり、こだわり行動も多く、
相変わらず私は息子のために自分の時間の大半を費やす生活は続いていました。
いなくなってくれたら楽になれる。
そう思うことは、この頃には少なくなっていました。
でも、他の親御さんのように、息子を心から愛することはできないままでした。
自分はどこかおかしいんじゃないかと、悩んでいました。
けれど、そんなあるとき、ちょっとした事件が起き、自分自身も知らなかった思いを知る事になるのですが、それはまた別のお話。