わずか1歳半で自閉症を指摘された「ゴリゴリの発達障害児」の0歳児時代を語る
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私のブログを読んでくださっている方であれば、うちの息子・太郎が大変手のかかる発達障害児であるかということは理解いただいているかと思います😂
けれどもいつから自閉傾向があったのか、赤ちゃんの頃から大変だったの?と気になる方もいるかもしれません。
そこで今回は太郎の赤ちゃん時代について記事にしてみようと思います🖐️
0歳時代は「むしろ手がかからなくて楽」な子だった
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現在高校3年生の太郎が自閉症と診断されたのは2歳半ばの頃でした。
ただし自閉症では?と指摘されたのは1歳半検診でのこと😅
その時の私の心境といえば「原因がわかってほっとした」というものでした。
そのくらい、当時の太郎は大変育てづらい子だったんです。
ちなみに当時の…というのは、いつからかというと。
考えてみれば、太郎の赤ちゃん時代はむしろ「育てやすい子」だったように思います。
敏感で、寝ていてもすぐに目を覚まして泣いてしまう次男の赤ちゃん期に比べると、太郎は一度寝ると朝までぐっすり熟睡する赤ちゃんだったんです。
この違いは次男は母乳、太郎は完ミ(100%粉ミルク育児)だったことが原因なのかもしれませんが。
太郎は生まれてから1か月を過ぎる頃には極端に母乳を嫌がるようになってしまい、仕方なくミルクに切り替えたんです。
その嫌がり方が不自然なほどだったので、今思うと自閉傾向も関係あったのかも…と思わなくもないんですが😅
もちろん何の因果もないのかもしれません。
とにかくミルクをたらふく飲んで、夜は熟睡して目を覚まさず、日中もあまり泣かない子で「なんておりこうさんなの!」と思っていたんですよね。
一人遊びが上手で、本当に手のかからない子。
なんて思っていたけど、今思えばこれも自閉傾向の一つだったのかもしれません😅
他の子と違って母親である私に甘えてくることがない子だな…とは思っていました。
ただこの頃の私は自閉症についての知識が全くなくて、とにかく手のかからない楽な子だと思っていたわけです。
感覚過敏?離乳食が苦手だった乳児期
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ところで乳児期といえば、他の方のブログで自閉症の子が離乳食を全然食べなかったと書いてあったのを見かけて、うちはどうだったかな?と思い返してみました。
確かに…自閉症の長男・太郎は離乳食をあまり食べない子でした。
ただ、それが自閉症のせいだったか?と言われると、そうでもないのかな、とも思うんです。
というのは、次男・次郎もやはり離乳食をあまり食べなかったんですよね。
思えば2人とも、ドロドロとした食感が嫌いだったのだと思います。
あまりにも(離乳食を)食べなかったので、私はあの手この手で食べさせようとがんばっていましたが、
ある日もう、何もかも面倒になり、
8枚切りの食パンを1枚まるのまま出したところ、ガツガツ食べ始め😱
それと同時に離乳食を卒業しました👍
偏食が酷くなった1歳半くらいまでは、結構何でも食べてくれましたね。
要するに、偏食という観点で言えば、赤ちゃん時代は特に自閉傾向はみられなかったように思うんです。
多動なの?高速ハイハイで徘徊していたあの頃
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とにかく0歳児時代は太郎のことを「特別大変な子供」だと思ったことは一度たりともありません。
首が座った時期、お座りした時期、ハイハイを始めた時期、立ち上がった時期、歩き始めた時期。
すべてが成長曲線にのっとり、ごくごく平均的な時期に始まっていたのです。
心配事はほとんどなかったといえます。
むしろ、運動神経的な成長で言えば、一般的な時期よりもやや早めにできていたように思います。
また、ハイハイのスピードがとても速いように思っていました😂
ハイハイをするようになり、家の中で高速に移動するようになり、「うわ。男の子ってすごい」くらいに思い始めていたあの頃。
あるとき、行きつけのトイザらス(おもちゃ屋さんの量販店)で「赤ちゃんハイハイレース」なるものが開催されていたのを知り、太郎を参加させることに決めたんです。
もちろん優勝する気マンマンでいました🤣
うちの子は赤ちゃん界のアスリートとドヤっていたんですよ私。
そのくらい運動神経がよかったのだと思います。
(児童館に通って、他の子と比較してそう判断していたのだと思います)
ところが
実際に、トイザらスのハイハイレースに参加した際に驚きました。
太郎以外の全員が曲がりなりにもハイハイしながらゴールしていたというのに、太郎はスタート!という合図とともにその場で固まってしまい、号泣していたのですから。
結果は最下位でした。
というよりは失格😂
一歩も動けなかったんですから。
家では縦横無尽に動き回っている、あの太郎が。
後々次男が同じようなレースに出た際には、人見知りが激しいあの次男ですら、ハイハイしながらゴールに向かっていたんですよね。
あの時にも「何かおかしい」と気づくべきだったと感じています。
他の子が全員、当たり前にできていたことができなかったんですから。
思えばあれはハイハイ時代、つまり1歳になる直前の出来事だったと思いますが、その頃にはまだ太郎のことを「育てづらい」と感じることは皆無でした。
1歳3か月を過ぎる頃から「急に来た感」を感じる
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じゃあ、いつ自閉的傾向が見られるようになったのか?ということですが。
1歳すぎてから、徐々に…というところでしょうか。
1歳過ぎた頃から歩けるようになったんですよね
歩けるようになってからです。
この子は今で言う「多動」なんだと感じたのは。
1歳3か月の頃には既に育てづらさがMAXに感じていたので、急に来た感がありましたね。
いわゆる多動と他害が始まったんです。この頃。
何かおかしい、何かがおかしい。
この子は普通と違う。
そんなふうに思っていましたね。
つらつらと書いてきましたが、子育ては本当に難しいものですね。
普通の子と同じ感覚で育てられた0歳児時代を、もっと満喫していればよかったなぁ、なんておもいます。
あの頃だけが唯一、普通の子を育てる喜びを感じられる瞬間だったのになぁ。
私は当時在宅ワークをしていたので、乳児期はとにかく早く寝てくれないかな、ってそればかり願っていました。
もったいなかったな。
上の子はおそらくバリバリの発達障害者のようです。
私や兄や次男の知的障害に隠れて気づきませんでした。
忘れ物が大変に多い片付けられない、のようです。
都内で一人暮らしの現在、しっかりと教授たちに手厚い支援をいただき、大学卒業に十分な単位は取れているようです。
(提出期限遅れの見逃し、一度、大切な?授業に出なかった時は教授から心配からの電話連絡があった、など)
知的障害児の方が新生児期は楽なのかな?とふんわり感じています。
知的に遅れのない発達障害の人は想像以上に多いのでは?と思っています。
何をもって発達障害というのか、どこからどこまでが健常なのか。
考えるとよくわからなくなってしまいますよね。
自分にもそれと感じる部分があるし、結局はうまく生活できるか否かが重要なのであって、発達障害かどうかをはっきりさせることが目的ではないんですよね。
にゃんこさん、ナーバスな内容の投稿ということで、投稿自体は非公開にさせていただきますね。
発達障害の子供を育てるのは本当に難しいと私も思います。
自分は毒親にだけはならないようにと思っても、結果としてなってしまうケースも多いかと思います。
私自身もそうです。いつでも子供にとっての良い母親ではいられません。
そして子供が成人を目の前にして、子供が小さい頃には思ってもみなかった壁にぶつかっています。
子の障害を受け入れ、身の丈にあった将来像のようなものを描き、多くは望まず、ただ幸せでいてくれたら…と考えていたのですが、そんなささやかな幸せすら、障害児は、障害児の親は、夢見ることができないのだという悲惨な現実。
なかなかしんどいものですね。
こんばんは。
うちの知的障害児の次男は、4ヶ月の頃にはすでに発達が遅れていました。
寝返りをうたなくて、おかしいと思いつつも、育ちの遅い子だと思って見ていました。
定型の長男は一日中泣いてばかり、24時間中の25時間は泣いている、そう言っていたほど寝ない子でした。
打って変わって次男は母乳でしたので三時間おきに起きるものの、日中も寝てばかり。
二歳上の長男の世話もあり、泣くまで寝かせて、泣いても私がすぐに動けないと力尽きて寝てしまう、そんな子でした。
一歳過ぎても寝返りをうたないまま、当然起き上がることができずにいましたが、こちらがおすわりをさせると黙って座っている子でした。
離乳食は、ほとんど食べず、母乳のみ。
水分も母乳だけ。
2ヶ月の頃から便も二週間に一度とひどい便秘でした。
母乳を飲む回数が少なく、量もでていなかったのでしょうね。
ダメダメな私は、ほとんど泣かない次男を楽な赤ちゃんだと喜んでいました。
ですが、2ヶ月の頃、上の子を公園であそばせていた時にその場にいたママさん達が乳母車に乗せている次男を見てザワザワしていた記憶があります。
「この子は、おとなし過ぎるよね?」と驚いていました。
やはり、定型の赤ん坊とは何か違っていたのかもしれませんね。
こんばんは(^^)
子供の様子は十人十色だなと思いつつ、乳児期は「大人しくて手がかからない子」である傾向があるんでしょうかね…。
楽だな~と思って、あまり深く考えていなかったんですよね。
乳児期の頃を思い返してみても何かに役立つわけではないかもしれませんが、発達障害の子の乳児期はどんな感じなのか。
興味深いですね。
にゃんこさん、ナーバスな内容の投稿ということで、投稿自体は非公開にさせていただきますね。
発達障害の子供を育てるのは本当に難しいと私も思います。
自分は毒親にだけはならないようにと思っても、結果としてなってしまうケースも多いかと思います。
私自身もそうです。いつでも子供にとっての良い母親ではいられません。
そして子供が成人を目の前にして、子供が小さい頃には思ってもみなかった壁にぶつかっています。
子の障害を受け入れ、身の丈にあった将来像のようなものを描き、多くは望まず、ただ幸せでいてくれたら…と考えていたのですが、そんなささやかな幸せすら、障害児は、障害児の親は、夢見ることができないのだという悲惨な現実。
なかなかしんどいものですね。
にゃんこさん、大変でしたね(ノД`)・゜・。
事情は違えど、わかる気がします。
障害者福祉って成人するまではそれなりに手厚いと思っていましたが、成人後は早い者勝ち、調べたもの勝ち、みたいなところはありますよね。
世知辛いなあと思うことが本当に多いです。
いつもありがとうございます。
障害者福祉は、本人よりも親が頭を下げたり、感謝したり、ですが、本人はまるで素知らぬ顔…。
自覚がないので、要不要が本人では判断できず。
理解に乏しく努力も出来ず。
親が何でも出来るわけもなく、後手後手になってしまい、疲れ果て…。
そこかは見えてきたものが、最初から手の届くものだったのかな、と思うようになりました。
必要な何かを得るために必要な様々な無駄なことだったのだと思うことで、気持ちを納得させてます。
また、色んな場面でいちいち傷付くのもね、慣れているはずなのにショックを受ける自分も腹立たしく思います。
いつまでも鬱陶しい感情です。
そうそう、前回これ、報告しましたっけ?
リハビリ科を受診時、私と先生のやりとりを聞いていた息子は、帰る途中車の中で、一生懸命精神科のある病院を検索して教えてくれました。
これなら、そんなに心配することないかーと笑えてきました。
「必要な何かを得るために必要な様々な無駄なことだった」
名言ですね!
まさにまさに、です。
最近私もやることなすこと徒労に終わることばかりで、全部無駄だったんかい!とため息をついてばかりいます。
この無駄なことがいつか必要な何かを得るための礎となればいい、いや、なるんだ!と思って頑張るしかないですね。
慣れているはずなのに傷つくこと、本当に多いです。
最近泣いてばかりいるような気がします。
子供が小さい頃にはあたたかかった支援が、大人に近づくにつれてどんどん冷たく事務的になってきて、
子供自身が原因というよりは、まわりの対応に傷つくことが多いです。
息子君、空気読めているじゃないですか!
うちの太郎も、わからないなりに空気を読んで、自分でなんとかしようとがんばってくれることもあります。
そういう子供の姿を見ると、あきらめちゃいけないなって思います。
涙は枯れないものですね。
お互いに、次こそは嬉し涙を流せるように、日々頑張りましょう。
諦めたら試合終了、ですよね。
ありがとうございます。・゚・(ノД`)・゚・。
やさぐれた気持ちでいたので、にゃんこさんのコメントで癒されました(ノД`)・゜・。
ちょっと最近落ち込むことが続いているので、今日は1日何もしないで自分を甘やかしていました。
が、何もしないでいても何も解決しないなあ…。
明日からは元気を出して、一歩前に踏み出そう。
お互い、頑張りましょう(*^^*)