成人式はどうだった?行動障害のある重度知的障害者の息子

そういえば先週末は成人の日だったんですね。
…なんて、思いっきり他人事のように言ってますが、うちの重度知的障害の息子も今年度に成人したんですよね💦
まあ、こうした言いっぷりから察すると、我が家がどんな成人の日を迎えたかということは想像できるかとは思いますが😅
多動(行動障害、強度行動障害)で、なおかつ知的障害も重い子を持つ親は、幼い頃から「行事をどうするか」という事はとても関心が高かったのではないかと思うのです。
ですので、そういうタイプの子が成人した時、みんな成人式とかどうしてるのかな?と思う方もいらっしゃるかと思い、今回旬の話題を取り上げてみました(もう終わったけど😂)。
七五三は所詮「親の自己満足」だったのかも・・・

成人年齢が18歳に引き下げられても、成人の日、成人を祝う会のようないわゆる「成人式」の催しは、現在も20歳で行う自治体が多いのではないでしょうか。私の居住地でも成人式は20歳の子が出席することになっています。
いくらうちの子が超多動で、行動障害の程度が酷く、重度知的障害だからといっても、さすがに20歳になれば成人式なんてお手の物じゃないの?だって、幼小中高と、入学式・卒業式など、何度となく繰り返し行事に出席してきたんだから。
もう流石に慣れっこでしょ?と思いますよね。
そう。七五三の時とは違ってね。
七五三のときは、それまで経験したことのあるフォーマルな行事といえば幼稚園の入学式くらいでしたからね。
ちなみに、七五三については以下のように記事にしたことがありました。
七五三は…それはもう、大変でした(白目)。
大変であろうことは予想できていたので、着物は着せずに、着慣れた幼稚園の制服で祈祷を受けました。
そして、スタジオでの写真撮影もしませんでした。
当初は神社で祈祷を受けることすら辞めておこうかと思っていたんですよ。だって耐えられるわけがない。本人も、親である私も。
それでも、人並みの親がやるような事を、私もやってみたかったんですかね…。
「七五三もできないくらい大変な子」っていうのを、認めたくなかったわけじゃない。
ただ、後から振り返ったときに、そうした思い出が何一つない事が悲しすぎたし、スナップ写真の一つくらいは残しておきたいと思ったんですよね。
そのために頑張った。息子も、私達親も。
でも後から思い返すと、本当にあの七五三は単なる親の自己満足というか、
親のエゴでしたよね。
じっとしていなければならないから、息子にとってはただただ辛いだけの時間だったはず。
そして、七五三の意味もわからなければ、七五三を祝うことも、やってもやらなくても、本人にとっては思い出にすら残らないほど取るに足らないことであり。
重度知的障害のうちの息子は、自分の誕生日すら理解していないですから。
クリスマスもね。意味わかってないんですよ。お正月なんかもそう。本当にまったく意味がわかっていない。
プレゼントやお年玉をあげてもあげなくても本人は何とも思わない。そもそも何の日なのか意味を理解していないから。
そういう子にとって七五三なんてもはや存在自体が「無」に等しいわけですよ(゚з゚)
本人にとっては辛いだけのことをやってしまったのだと、今でも思っています。本当にあれは私の自己満足だった。
七五三をやったという写真が欲しかっただけなのだ。
友達すらいない息子を「形だけでも成人式に参加させるか」問題

で、成人式ですよ。
今、うちの息子は相変わらずの重度知的障害だし、行動障害が強度行動障害化することもあったりして、とてもじゃないけど落ち着いた状態とは言えない。
じゃあ、成人式なんてとても無理かというと、実は意外とそうでもない。
行事等で小一時間大人しくしていることはできるんですよ。
やはり、幼い頃から学校等で散々行事に参加してきていますから。
そんなものかと思って、少しは大人しくしてみせてくれるんです。息子も成長しましたよね。
じゃあ、成人式に参加させるのか?
結論として、参加はさせませんでした。
本人が、ああいう畏まった雰囲気がやっぱり苦手だし、どちらかというと苦痛だと思うからです。
そもそも定型発達の子たちであっても、ただ単に畏まった行事(成人式)に参加したいというよりは、「綺麗な着物を着た写真を撮りたい」「久しぶりの友達と会いたい」など、何かしらの理由があるのではないかと思うんです。
うちの息子は、式は苦痛だろうし、スーツも着たくないだろうし、写真撮影もしたくないだろうし、友達(顔見知り)には会えれば嬉しいかもしれないけど、基本的には息子には友達はいないし、会っても喋ることもできない。
七五三のときみたいに、親として寂しい気持ちがないわけではないけれど、やっぱり成人式に参加させることは親のエゴになりそうな気がして、参加を見送ることにしたんです。
もちろん、写真撮影もしませんでした。
本人にとっては「夕飯がいつもよりちょっと豪華だったかな」と思っただけの1日だったと思います。
それでいいんです。
うちは、それで。
もう、世間一般の人と同じようなことをやりたいと思うことは諦めました。
親の虚栄心で、子が嫌がることはもうしない、と決めたんですから。
もちろん、重度の子でも、お友達と一緒にいることが好きで、行事も好き…というタイプの子もいるかと思うので、あくまでもこれは我が家のケースです。
重度知的障害があるから、行動障害があるからといって、皆が皆、うちみたいになるとは限らないし、うちみたいな結論が本人のためになるとは限らないです。
一つ言いたいのは、20年も生きてくれば、本当に十人十色ではなく、1000人いたら1000通りになっているんですよね。
その子の人生で必要なものとかが。
幼児期はとにかく少しでも周りに合わせようと躍起になっていましたが、今は少しの寂しさはあるけど、もう、周りと同じことができなくても悲しんだりはしません。
むしろ清々しいくらいです😆
成人の日が終わって(過ぎて)、何をしたわけではないけど、一つの区切りができたような、そんな気がする今日この頃です。
