障害のある子とない子が共に学ぶインクルーシブ教育の功罪

幼稚園

出典:pixabay

以前、ドラゴン桜の記事を書いたときに、いつかインクルーシブ教育について記事を書きたいと思っていました。

ドラゴン桜の発達障害の描写が意外にも奥深い件

そうこうしているうちにすっかり時間が過ぎ去ってしまったのですが😅

そんな中で耳にした小山田圭吾さんのニュース。

過去に雑誌のインタビューで、障害のある子供へいじめ(いじめというよりはもはや犯罪ですが)を行っていたことを告白していた、例の問題なのですが。

障害児の親として痛ましい気持ちでいろんな記事を読んでいたところ、こんな記事を見つけたのです。

小山田圭吾さんという「個人を非難するのではなく…」。障害者団体が訴えた内容は? (msn.com)

彼が小中学校に在籍していた学校というのは、障害のある子どもと障害のない子どもが共に学ぶ方針をもっている学校、つまりインクルーシブ教育が行われていた学校だったんです。

 

ドラゴン桜第5話を観て思う「インクルーシブ教育」は誰のもの?

仲間外れ

出典:pixabay

これはドラゴン桜の記事の中で書いたのことなのですが。

ドラマの中で描かれていた原健太は、知的障害の程度が決して軽くないというか、普通級しかない一般的な私立高校に入学することがそもそも無理があるのでは?と思ったものです。

そこで、健太の入学を許可した理由について、桜木が理事長にたずねるのです。

桜木 「(発達障害のある)原健太をなぜ入学させたのですか?」

理事長「定員割れしてるから誰でもいいから入学させたとでも思ってるの?」

桜木 「違うんですか?」

理事長「バカにされたものね。…いい?世の中に出たらいろいろな人がいるの。生徒たちはこの先社会に出て、そういう人たちと手を取り合って生きていかねばならないの。多様性を尊重し、互いに協力していくことを生徒たちに学んでほしい。だから発達障害の子も、入学を希望するなら普通学級で受け入れてきたの

 

多様性を尊重し、互い(障害児と健常児)に協力していくことを生徒たちに学んでほしい。

障害児と健常児を区別せずに、同じ学校・同じ環境で教育を施す。

つまり理事長は「インクルーシブ教育」を提唱していたわけです。

インクルーシブ教育とは、人間の多様性の尊重等を強化し、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みインクルージョン教育と呼ばれることもある。

インクルーシブ教育は、障害のある者とない者が共に学ぶことを通して、共生社会の実現に貢献しようという考え方であり、2006年12月の国連総会で採択された障害者の権利に関する条約で示されたものである。日本においても同条約の批准に向けて2011年8月に障害者基本法が改正され、「可能な限り障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮」(16条)を行うことが示された。障害などの特性に応じたきめ細かな教育により、障害児の能力を可能な限り伸ばすことが求められている。中央教育審議会は、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされていることを報告した

インクルーシブ教育 – Wikipediaより引用

 

10人に1人は発達障害があるともいわれている昨今、社会に出ても、日常的に障害者と健常者は関わりを持つ場面も多々あるかと思われます。

ですが、障害のある子供は特別支援学級や特別支援学校に通うことで健常児とは区別され、交わる機会も少なく、ほとんどの健常児は大人になったときに、障害者に対してどのように接すればいいか戸惑うことが多いのではないでしょうか?

もしもインクルーシブ教育のもと、障害児が身近にいる環境で育った子健常児は、障害のある子との生活が日常であり、一緒に過ごすなかで接し方を学び、ハンディキャップのある人への思いやりの心も自然と育つのかもしれません。

そういう意味では、健常児にとってもインクルーシブ教育は素晴らしい試みということになります。

 

サポート体制が整っていないインクルーシブ教育の末路

幼稚園

出典:pixabay

だけども、障害児と健常児が同じ環境で過ごすことは、実際はかなりハードルが高いことだと思います。

実際、ドラゴン桜の健太の学校も、志だけは高いけれども、実態が伴っていない。学校には特別支援教育のスペシャリストは1人もいないし、必要と思われる配慮も行われていない。

ドラゴン桜の健太は、チック症なのか常同行動なのかはわからないけど、常に頭をユラユラ揺らしていましたよね?

これは周りの生徒は気が散るため、何らかの配慮が必要と思われるんですよね。例えば席は一番後ろの列で、他の人の視界に入らない位置に机を置くとか。それを差別していると捉える人もいるかもしれないけど、これをしないことで、「健太が前に座るとイライラする」→「健太が苦手」→「いなくなればいいのに」という負の感情につながるのであれば、やはり合理的配慮の一つとしてこうした対策も必要なのでは?と思うのです。

公立の小学校で、発達障害の子が普通級に在籍することがあると思うのですが、これも在籍させるからには、学校側がしかるべき合理的配慮を行うべきなんですよね。

ところがほとんどの場合、具体的な配慮(例えば幼稚園の加配のような制度など)は行われていないと思います。

そうするとどういう事が起きるかというと、クラスにはその発達障害の子の面倒をみるお世話係にさせられる子が出てくるわけです。

最初は親切心から手を差し伸べていたつもりが、いつの間にか担任の先生公認のお世話係として半強制的に世話をすることを強要された…そんな話を耳にすることもあります。

こうして「お世話係」にさせられた子が将来、「障害者は区別するべき」という思想を持つ大人になるかもしれません。

一方、障害児の方も、何の専門性もない教員による合理的配慮のない環境で多大なストレスを抱え、本来あるべき成長もできず、二次障害を引き起こすことも考えられます。

 

実際にインクルーシブ教育を実践している学校は

幼稚園

出典:pixabay

そして冒頭に書きましたが、小山田圭吾さんが小中学校に通っていた学校がインクルーシブ教育を行っている学校だったということを知り、驚きを隠せませんでした。

しかもその学校というのが、うちの太郎が幼児期に「障害児を受け入れてくれる学校」というのを血眼になって探していた時期に、入学を検討したことのあった学校だと知り、二度驚きました。

入学を検討したといっても、その学校の募集要項には「担任以外の介助を必要としない児童」という条件があり、重度知的障害児であるうちの太郎はそもそも願書を受け取ってもらうことすらできそうもなかったので、諦めたんですけど。

実際、その学校では介助の必要がない軽度の障害児が入学していたんでしょうが、どの程度合理的配慮がされていたのでしょうか…。

きっとこの学校も高い志を持ち、インクルーシブ教育を実践されていたかと思うのですが、小山田圭吾さんが通っていた時代というと30年以上も前の話なので、現在とはいろいろ状況も違っているのかもしれませんね。

障害児と健常児を同じ環境に置くということは、一見素晴らしいことのようにも思えるけれども、同じ環境に置いたことでこんなにも惨い虐待へとつながったというのは痛ましい話です。

インクルーシブ教育は素晴らしい試みだとは思いますが、どうか、社会的弱者である障害児が、その理念の犠牲にならないように。

インクルーシブ教育の場が、障害のある子にとって、ストレスを感じることのない、心地よい場所であるように。

願わずにはいられません。

 

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障害のある子とない子が共に学ぶインクルーシブ教育の功罪” に対して14件のコメントがあります。

  1. cosflo より:

    サナさんおはようございます。毎日暑いですね。

    小山田圭吾の学生時代のいじめの経験は、若い頃に音楽雑誌を読んで知っていました。音楽は素敵なのに、人間はクソだな。(下品ですみません)というのが感想でした。今回、オリンピックの音楽制作に携わっていたことは知りませんでしたが、そういう人事をする人はよく考えて、調査してから選べよ。ということを思います。確か、音楽雑誌の記事では『超情緒安定人間』とか言っていましたから。そういうことを考えついて、やらせたり、やったりすることが、普通に出来ることが超情緒安定なのか、とても嫌だなと思いました。
    小山田圭吾や小沢健二が在籍していた学校名も記事に出ていたので、非常に印象に残っています。インクルーシブ教育を教育方針にしていても、そこにいる先生方にみなそれが浸透しているかどうかは分かりませんね。子どもたちにも。
    私は仕事で知り合った若い女の子が、発達障がいの子も受け入れる高校で学んでいたと聞いて、少し希望的観測を持ちました。作文が書ければ、入学できるということでした。軽い発達障がいの子を受け入れていたのでしょうね。そういう高校が、都道府県に2~3校ありますよ、と言われて何だか嬉しくなりました。

    1. 稲倉サナ より:

      cosfloさんは実際にその雑誌を読んだことがあったんですね。
      音楽の才能と人間性は別物なんですよね…。この件、本人がやった事もおぞましいとしか言いようがありませんが、それを雑誌に載ってしまうこと自体も驚きを隠せませんでした。当時、私は出版関係のお仕事に携わったことがありますが、障害や差別関係の校閲はかなり厳しかった記憶があります。
      インクルーシブ教育を行っている学校は意外と多いです。知的軽度の子向けではありますが。
      神奈川県には公立高校の中に「インクルーシブ教育実践推進校」というのがあり、当初は3校だけだったのが令和2年度からは14校になったようです。
      こうした試みが他の都道府県でも増えてくるといいな、と思いますが、教員の教育が追い付くのかどうか心配ではありますね。

      1. cosflo より:

        自閉症教育が進んでいるアメリカ、インクルーシブ教育が進んでいるオーストラリア。日本はその点では遅れていますね。
        日本にもそういった波が来るといいですね

        1. 稲倉サナ より:

          もともと障害者との共存は欧米の方が進んでいましたよね。
          今でこそ日本でも車椅子ユーザーがバスや電車に乗る時に職員がサポートする姿が当たり前となってきましたけど。
          日本も少しずつ進歩しているのかな、とは思います。

  2. あきこ より:

    こんばんは。アメブロでは、ゆるりんです。サナさんのブログ見て小山田さんの子どもの頃の学校がわかり、びっくりしました。私が学生の時、小山田さんがその学校に通学していた頃、その学校には障害がある子どもも通っていると確か映画で知っていい学校だなと思っていました。一緒に学んではいたけど、イジメのことは把握していない学校だったのかな?イジメられたお友達の年賀状を見たけど丁寧で綺麗な字で書かれていました。支援学校の高等部に軽度の生徒が入学すると前からいた重度の生徒をイジメると聞いたことがあります。今まで多分、普通か支援かはわからないけど、健常の生徒のイジメられた記憶から自分より弱いお友達をイジメる時もあるのかな?とふと思いました。でも、バス停で待っている時に中学部から入学した生徒に近くの中学の生徒が「よっ、なんとか、またな」と声かけて同じバス停の生徒も「またな」と友達同士の会話をしていて、インクルーシブ教育って、どちらに転ぶかわからないですね。

    1. 稲倉サナ より:

      私もまさかあの学校が、と思ってかなり驚きました。
      30年以上も前から、インクルーシブ教育を実践している学校はかなり少なかったと思います。
      きっと先生の前ではうまくやっていても、陰では…ということはありますよね。
      そしてそれは今でも起こりうることだと思います。
      支援学校でも高等部から入学する軽度の子と、重度の子との関係は、学校側も注視した方がいいかとは思います。
      学校内ではきっとうまくやって見せると思いますが、先生の見ていない学校外(登下校時など)で、軽度の子が中重度の子に暴言を吐いていたなんて話も聞いたことがあります…。先生は知らないんですよね。
      インクルーシブ教育とは違いますが、近日中に書きたいと思っていました。軽度の子と重度の子との関係性。
      どこの世界にもヒエラルキーってあるんですよね。

  3. こー より:

    こんにちは
    双方理解していないと難しいですね。
    そんなこと考えなくても上手く取り組めていけると良いのにね。

    1. 稲倉サナ より:

      自然に取り組めるようになるといいんでしょうけどね。
      日本では昔から障害児と健常児は分離することが基本だったことから、一緒の環境に置く場合にどうすればいいかわからない、という感じなのでしょう。
      「障害があるから仕方がない、我慢しよう」という考えだと、結局は上手くいかないと思うんです。
      健常者にとってもメリットがあり、ストレスを感じない環境を整えなければ、障害者に寄り添うだけでは片手落ちなのだと。
      双方にとって、win-winとなる環境を整えることが、インクルーシブ教育を行う際に必要なことだと思います。

  4. まる より:

    はじめまして。
    いつもブログを拝読させて頂いています。
    うちは知的ボーダーの子供がいます。
    小学校は普通級+通級、
    中学は支援級に在籍してます。
    小学校最終学年の先生は理解ある先生でしたが
    やはり、30人前後の生徒がいるなか、
    細かい配慮を求めるのは難しいと感じました。
    特に大きな問題はありませんでしたが、
    やはりクラスメイトとの
    細かいコミュニケーションの部分は
    高学年になると特に難しかったように思います。
    中学では、行事や給食は交流学級、
    部活も普通級の子とやってます。
    その他は支援級で過ごしてますが
    やはり先生との関わりも多く、
    本人に無理のないカリキュラムで
    迷いに迷った支援級でしたが
    今は支援級で良かったと思っています。

    交流級で行事も楽しく参加できたようで
    部活も情勢的にあまり活動ないですが
    一緒に取り組めるというのは
    私にとって、とてもありがたい事です。

    私も今回の件は凄くモヤモヤした気持ちで
    いたのですが、サナさんの記事を見て
    なんだか色々腑に落ちました。
    長々とすみません。

    1. 稲倉サナ より:

      お子さんに関する情報を教えていただきありがとうございます(*’ω’*)
      やはり普通級・支援級ともに学校によって(担任によって)まったく違ってきますよね。
      よい先生と巡り会えたとしても、物理的に支援の手が足りない場合は先生自身も歯がゆい思いをされていることでしょう。
      完全に分離してしまうと、将来企業への就労を考えている場合は特に不安ですよね。
      障害児と健常児が、どんな形であればお互いがストレスなく共存していけるのか。
      うまくいっている学校のケースを、全国の学校で共有するなどしてくれるといいんですけどね。
      横のつながりってなかなかありそうでないような気がします(´・ω・`)

  5. 森の中から より:

    インクルーシブ教育を推し進めようとしている協会があるのですが、どうも理念に共感出来ません。身体障害者中心なのが余計に心をざわつかせるのでしょうか。自立生活とか何なんだろうと考えてしまうのです。私が精神障害者だから余計にそうかもしれません。難しい問題です。

    1. 稲倉サナ より:

      そういう協会もあるんですね( ゚д゚)
      教育も、雇用においても、身体障害者は物理的な課題をクリアすればいいけれど、知的障害者は手取り足取り、それも最初だけではなくてずっと支援し続けなければいけないので、どちらかというと身体障害者を採用したいと思うんでしょうね。
      どんどん新しい試みが出てきていますが、障害者を中心に、現状に即した内容を考えてほしいなと思います。

  6. ゆう より:

    こんにちは
    私もサナさんの考えた学校、検討した事もあるので今回のイジメ騒動は衝撃でした
    軽度知的障害の範囲の子ですが今は地域の小学校の普通級に通っています
    担任の先生や校長先生から色々と配慮していただき、1学期を終える事が出来ました
    同じ位の障害のある友達は他の学校の支援級の に行きましたが、果たしてどちらが良かったのか正直分からない部分もあります
    うちは年中でやめてしまった療育園は当たり前かもしれないけど、とにかく支援級!!だったようで友達は迷ったけれど支援級へ
    でも、専門の知識がある訳ではない先生らしくなかなか苦戦しています
    我が子の担任の先生は支援のアイディアを提案して下さったり、接し方を聞いてきたりして理解しようとしているのが分かります

    今はただ楽しく通えていますが、3年生位になったら違いが周りの子達にも分かりからかわれたりするようになるのかな?そうしたら支援級にうつろうかな?と考えています

    インクルーシブ教育をすすめて行くには今は圧倒的に人手が足りないと思います
    30人一クラス、担任1人じゃ無理ですよね
    補助の先生を数人入れて初めて成り立つと思っています
    いづれ、そうなっていき希望した人が望む環境で生活できるようになったらと思います

    なんだか長々とすみません⤵️

    1. 稲倉サナ より:

      コメントありがとうございます。
      私はインクルーシブ教育はどちらかというと賛成です。
      うちの太郎が年少から入園した幼稚園は障害児を多く受け入れていたということもあったのですが、とにかく保護者も幼児たちも障害児に対しての耐性(笑)が出来ていたんですよね。
      障害児が何かやらかしても、いい具合にスルーしてくれていました。過剰反応しないんです。そんなものだと、自然に受け流してくれていました。
      これこそがインクルーシブ教育の醍醐味だと思いましたね。
      でも、その幼稚園はトップの人間(つまり園長先生)が障害者との共存に理解があり、熱心だったからインクルーシブ教育が実現できていたんだと思うんです。
      真剣にインクルーシブ教育をやろうとしたら、きっと時間もお金もかかるんだろうな、と。
      実際は理想に現実が伴っていない所が多いですよね…。
      そもそも相対的に人材が足りていないですよね。人材育成からとなると、なかなか時間もかかります。
      支援級は学校によって待遇が雲泥の差とも言われているので、知的が軽度のお子さんは普通級にするか支援級にするか、悩ましいところですよね。
      ゆうさんのお子さんの担任の先生は素晴らしいですね!
      やはり寄り添い、考えてくれるその姿勢が、一番大切なのかとも思います。

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