善悪の判断ができない息子のなれの果て

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いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

政府はまたしてもイベントや興行の自粛を10日間延期を要請してきましたね。

こうした場当たり的な対応はいつまで続くのでしょうね。

このままでは新学期も延期になりそうな。

もしコロナが暖かくなっても感染威力が衰えなかったとして、このままずっと学校を休校にし続けるんでしょうかね。

そろそろ各国首脳で今後についての方針をすり合わせるべきなんじゃないでしょうか。

コロナがインフルエンザと同じように毎年、通年流行するようになった場合、

1人が感染しただけで事業所全員が強制的に出勤停止、営業停止なんてことを繰り返していたら。

学校は1年の半分以上はお休みになりますよね。インフルエンザが1人も出ない学校なんてないんですから。

インフルエンザと比較した際の致死率や重症化の度合いなど、データ化して開示してほしいです。

朝から言っても仕方のない愚痴を吐いてしまいました。

今朝、自閉症の長男がまた、やらかしていたのに気がつきました。

昨夜やっていたようです。

何をやったかについては、ちょっと特徴的なので書けませんが。

どうしてこんなことをするのか本当に理解不能なことです。

ストレスがたまっているときに、暇だとスイッチが入ってしまうようです。

息子は善悪の判断ができません。

悪いとされていることは、私に、大人に叱られるからやらないだけ

悪いとは思っていないのです。

叱られるからやらないだけなのです。

本当に悪いと思っていないので、ちょっとしたきっかけがあると、やってしまう。

知的障害が重い子は一生こうなんでしょうかね。

電車に乗れば痴漢でつかまるんじゃないかとか

物を盗んでしまうんじゃないかとか

相手を傷つけて傷害罪で捕まるんじゃないかとか

最悪、人を死なせてしまったりするんじゃないかとか

怖くて息子を1人きりにすることはできません。

これ、一生こうなんでしょうかね。

将来どうなるかなんて考えても仕方がないので、今できることを教え、育てているつもりですが。

昨日のようなことがあると無力感しか感じません。

今年に入ってから在宅の仕事も一切やっていないので

考える時間がたくさんあって、

余計なことばかり考えてしまいますね…。

時間がたっぷりあるので、こうしてブログだけは書いていますが。

働きたいな~。

子供のことを考えなくて済む、なにかに没頭できる時間がほしいです。

この鬱っぽさ

更年期なのかな。

朝から愚痴っぽくてすみませんm(__)m

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善悪の判断ができない息子のなれの果て” に対して8件のコメントがあります。

  1. 稲倉サナ より:

    >u-santo-ohanaさん
    コメントありがとうございます(o^^o)
    どうにか、落ち着きを取り戻せました。息子の事は毎日の事で、悩んだり落ち込んだりしたところで治るものでもなし。
    一生付き合っていかねばならない事であれば、気の持ちようというか、ポジティブに、考えすぎずに生きて行こうと心がけています(^-^)
    そうは言っても、落ち込むことも多いのですが(^。^)私が自分自身を追い込みすぎないよう。気をつけたいと思います。

  2. u-santo-ohana より:

    >稲倉サナさん
    凹んでいらしたのですね。
    (受けとるときは「愛で解釈」していくと、きっと、「ひらいた心」を維持しやすいですよ。無理をする感じではなく、「受けとる」という感じです)
    また、
    絶望感は、私が思うところではありますが、「悪いこと」ではないと位置しております。 
    苦しみや、悲しみ、言葉に出来ない想いが、八方塞がりのように、出口がみえなくて、、
    「底」を感じるような感覚で、
    とても、おつらいと、お言葉からみえる背景の大切なお気持ちを感じます。
    ですが、絶望感というのは、
    一つの言葉にした心の感覚です。
    大切なのは、心の感覚が、
    そこにいてくれているのです。
    お母さま自身に愛を受け取って欲しくて。
    「底」という、出口のない感じ、そこにあるお気持ちを
    「そっと認めてあげる」ことで、絶望のところにいる、
    傷を抱いた自分自身に気付いてあげられます。
    そして、「底」にある、素直な心の方の「お気持ち」を認めることが、お気持ちの解放に繋がります。
    わたくしも、とてもとても弱いのです。ですが、きっと、弱いことのおかげで、愛おしくしてあげられます。
    そこに、お母さまの魅力が、
    うずうずしているのでは、と感じておりますよ。
    すべてのことは、自分自身の素直に抱いた気持ちを許していき、「わたしで在ることを生きるため」に、地球の優しさが、「守られている世界に来てね」という感じです。
    自分自身に心を閉ざすと、与えられていると感じにくくなるため、「与えられることを、受けとる」と、許可してあげると、
    わかりづらいお話かもしれませんが、ご自身の中の、「女性性と、男性性の完結」を体感される感じです。
    大切な人を守ろうと強くある方は、自分自身が受けとることを後回しにしやすいため、
    自分自身に対して、「甘えられる関係性を築く」と、少しずつ、楽になるかもしれません。
    遅くにすみません。
    あたたかさで包まれていますように。

  3. 稲倉サナ より:

    >u-santo-ohanaさん
    コメントありがとうございます。
    お言葉、ひとつひとつ、噛みしめながら読みました。今日、実はちょっといろいろとありまして…。ものすごく凹んでいまして。ちょっと、絶望感というか…気が張っていました。なので、コメントを読みながら、涙があふれて止まりません。すごく救われた気持ちになりました。ありがとうございます。私はそういうふうに言っていただけるほど立派な人間でもないし、弱い人間です。でも、弱くてもいいのかなって。すみません、なんかまとまりのない文章で(;'∀')
    嬉しかったです、今日、こういう後ろ向きなブログ書いちゃったよ、って思っていましたが。書いてよかったです(^^)ありがとうございました!

  4. u-santo-ohana より:

    コメントを失礼いたします。
    いつも、お言葉に愛を優しく、感じます。 
    お母さま側から認識する、
    「理解不能」だということは、
    お母さまご自身は、その出来事や、息子さまのお気持ちに対して「理解したい」、
    「理解してあげたい」という、お気持ちが、まず、そこに
    「在る」ということですね。
    もし、「理解したい」という想いが、お強くあるのでしたら、無意識化(心理の深いところ)では、
    「理解出来ていない自分」が
    いる、と位置づけていると考えます。
    もし、そう仮定すると、
    「理解出来ていない自分」が在ることを、許してあげるように
    「理解出来ないことも、あるんだよね」と、(共感的理解)で、思考の緩みをしてあげると、少しずつ楽な感覚になるかもしれません。
    また、この度のブログのお言葉で、「無力感」と、ありましたね。
    無力感とは、
    自分自身の「今ある」力では、及ばないところで、大切な人が傷ついた、苦しんだ、悲しんだ。
    大切な人、もの、こと、想いに対し「自分が思うようには」、
    してあげられなかった。
    助けてあげられなかった。
    という、過去の幼い頃の、
    傷の一つだと、考えております。幼い子が自分の両親が笑顔になるために、今ある力で、奮闘するのです。
    ですが、子どもには、自分が出来るように両親などを、助けてあげられなかった、という、自分の「存在価値」を、無力だと位置づける、誤認識の傷が付きやすいのです。
    多くの人は、こういった傷で無意識に自分を許していない時があります。
    ですが、それは、
    愛から発するお気持ちです。 
    そこには責めも何ひとつ必要ありません。
    大切な人、などを守れなかった、ではなく、
    出来た方を認めていく、
    頑張って守ろうとしている、
    愛を注ぐではなく、
    「育んでいる」自分自身に
    対し、
    大きな愛をプレゼントしてあげることが、癒しの一つだと感じております。
    私自身の経験を含め、無意識なところでの傷は、多くの方がありますが、意識化されているのは、気づきやすいですが、
    無意識化を表面に出して、
    「それ自体を許し」、
    「本当は、どう在りたいか」に移行していくと、きっと、思考が緩み、心で受けとめると、
    見えていることは、
    お母さま自体の愛そのもので、素敵な世界です。
    すみません、わかりづらいかもしれません。☺️

  5. 稲倉サナ より:

    >ママリンコさん
    コメントありがとうございます(*'ω'*)
    あ、軍手で折り鶴、聞いたことあります!
    実際まったく折れないんですよね。それは福祉の現場の方だけでなく、親もやった方がいいかもしれませんね…。私も「なんでできないの!」ってぷりぷり怒ることが多いです。反省_| ̄|○
    ちょっと、家でやってみます(`・ω・´)

  6. ママリンコ より:

    >稲倉サナさん
    残念ながら草刈りではありませんでした(笑)
    「軍手をはめて折り鶴を沢山折って下さい。質問等は受け付けません。」とA4の紙を渡されてました。鶴を折り始めましたが、私、鶴途中までしか折る事が出来ないので、どうしようと…。先生に質問してはいけないと言われたけど、先に進められんし、ここは先生に言わなきゃと思い、「私鶴折れないのです。」と言ったら、「質問には答えられないと言ったでしょ。」と。折り鶴の折り方の手順の紙を無言で渡されました。もう、めっちゃ腹が立ち、何で折り鶴ごときにーなんて思っていたら、折り鶴を不自由な手で折る事を実感し利用者さんの理解と、どのような配慮が必要かという勉強やったのです。
    先生も利用者立場を実感して欲しく、敢えて冷たくあしらったのでした。
    出来ない事をやれと言われたら、不安になるし、パニクるし、情報不足やし…。私は折れないと意思を伝えられられたから、手順が出て来たけど、伝えられない人もおるし、折り鶴ごときにと腹を立てていた自分が恥ずかしくなりました。
    利用者さんは知らない情報と不安と常に戦っているんやと思い知らされました。
    ほんま、いい勉強になりましたが、手順を見ても結局鶴折れませんでした(笑)

  7. 稲倉サナ より:

    >ママリンコさん
    コメントありがとうございます(*'ω'*)
    本当に自閉症スペクトラムとはどなたが名付けたのか的確な症名です。こだわり一つとっても千差万別。福祉に携わる方々も、お!そうきたか!と日々発見が多いのではないでしょうか。
    私なんぞ、一人だったらとっくにこの世にはいなかったと思います。
    学校の先生や福祉関連の方々が息子を理解し、一緒にあれこれ考えてくださってからこそ、生きていけるんだと思います。軍手とハサミ、何がはじまるんでしょうね?軍手とスコップなら草取りかな…と(笑)

  8. ママリンコ より:

    只今行動援護従事者養成研修中で学校に来て、自閉スペクトラム症の勉強をしています。
    各々の症状も違えば、こだわりも違えば、ほんま勉強するればする程、理解が出来ません。(ごめんなさい)
    母親は凄いなぁー。ほんま、サナさん凄いなぁー。と思うばかりです。
    午後からは、軍手とハサミを使っての授業なのですが、何が始まるのかしら?

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