いつまで続く?私の黒子人生

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最近、自閉症の長男・太郎の登下校に付き添っている際、考えなきゃいいのに、太郎の将来に思いを馳せてしまうんです。

登下校。現在太郎は高校1年生なので、幼稚園の3年間と、小中9年間の、合計12年ものあいだ、私は太郎に付き添い、来る日も来る日も、歩いてきたんです。

前を向いて歩こう

息子が強面の車をガン見する件

太郎も歩けば棒に当たる

自閉息子のKY発言にヒヤヒヤ

ひとりでできるもん!

 

自閉症息子の登下校の付き添いで見た光景

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この春高校生になった長男・太郎は、重度知的障害(IQ30)をともなう自閉症です。

一人通学を目指しつつも、現在も登下校は母である私が学校の近くまで送り迎えをしています✋

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その登下校の際、毎朝必ず決まって見かける人がいるんですよね。

うちは毎日同じ時間帯に登下校しているので、その途中で会う方々は半ば常連さんのような状態です😆

そんな常連さんともいうべき方々のなかに、太郎の”お仲間”が2人、いるんですよ。

そのうちの1人はたいていの場合、見通しのいい直線道路で出会うんです。

向こうはこっちに向かって歩いてくるので、すぐにすれ違うはずが、なかなか近づいてこない。

彼は推定年齢30歳前後。大柄な身体なので、ちょっと目立ちます。

そして彼のすぐそばにはその母親と思われる年齢の女性が寄り添って歩いています。

でも、なかなか近づいてこないんです😂

というのも、その彼が2~3歩歩いたかと思うと、すぐ脇に逸れて立ち止まってブツブツと独り言をつぶやいているんですよね(;’∀’)

そのたびに彼の母親が、「わかったわかった、そうだね~。さ、歩こうね!遅れるよ~」なんて優しく声かけしているんです。

ところが彼は母親の声など耳に入っていないかのように、ブツブツつぶやいて立ち止まったまま。

そこでピンときました。

彼は重度の知的障害(加えて自閉症かも?)があり、母親が付き添って作業所へ向かっているところなんだと。

そのうちようやくすれ違う(向こうは立ち止まったままだけど、こっちが進んでいるのですれ違う😅)んですが、母親が何度声かけしても、すぐ立ち止まってしまって、その様はまさに牛歩😂

もはや何かの戦術か?ってなくらい遅い😆

あれはおかーさん、毎日大変だよなぁ…と思いつつ、静かに見守りながらすれ違っていくのです。

あの調子だと、就労先には毎日遅刻しているのかな😅

そして、毎朝出会う、もう1人の人物。

その人も30歳前後くらいと思われる男の人なんですが、いつも1人でハイテンションに奇声をあげつつ、ぴょんぴょん飛び跳ねながら近づいてきます。

躁状態の彼は顔は笑っているけど口調が怖く、わかってはいても怖くて、すれ違うときに距離をとってしまうんです😑

実はこの彼、太郎が中学の頃にもうちの近所でよく見かけていたのでですが、一度も家族を連れていたことがなく、いつも1人でいるところしか見たことがありません。

見るからにかなり重い障害(知的にも、自閉的にも)と思われるんですけどね😅

それでもズンズンと早歩きで目的地に向かっていくので、付き添いは必要ないのでしょうね。

 

問題行動が深刻すぎて一人登下校は断念

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そして、うちの太郎はというと。

最近、複合的に問題行動が頻発していて、一人通学どころではなくなっています😂

太郎レベルの知的障害の子だと、スクールバスに乗る子もいなくはないんですが、基本的に身体障害および重複障害の子以外は、まずは一人通学を目指して公共交通機関を使うことを促されるんですよね。

うちは検討した結果、勝算があると判断し、公共交通機関での通学を選択しました。

実際、入学してからしばらくはいい感じで通学できていました。

でも…。やっぱり、無理だってことが最近わかりました。

問題行動がどうしても、封じ込めることが難しいのです😥

リアルタイムで詳しく書けないのですが、言い聞かせてもなんとかなるレベルではないんですよね。

なんというか・・・太郎は登下校がどうのという以前に、

常識が無い。

善悪の判断ができない。

厳密に言えば、善悪の判断はついています。

これをやると親(大人)に叱られる=悪 という意味での理解であれば。

太郎は叱られる=悪いこと という理解はあるので、きちんと叱り躾けることである程度の問題行動は封じ込めることはできます。

しかし

根本的なところで、どうしてそれをやってはいけないのかが理解できていないため、理性よりも本能が勝ってしまって問題行動へと発展することが多々あるんです。

最近起こす問題行動は、解決できる見通しもたたず、結局のところ見張るために登下校の付き添いは必須、という感じなんですよね…。

物理的に一人下校は可能なんですけどね😂

公共交通機関の利用方法も完璧に一人でできるようになっていますから。

だから太郎は一人で登下校できるのに、なんで親が付いてくるんだ?と思っているんですよね。

物理的にできるということと、やらせられるか、ということは別物なんですよね。

 

将来を悲観する日々。心だけでも自由になりたい

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そこで毎日出会う、あの2人の知的障害の男性のことを思うわけです。

私は将来、前者の男性と同じく、いつまでも太郎の付き添いをするのかな?

牛歩の男性と躁状態の男性。

学校からは、将来を見据えてできるなら一人で通学させるようにしてください。親は先に死ぬんです。いつまでも面倒をみてはいられない。早いうちに公的支援を受けて、子離れするべきだと。

まったくその通りだし、そうだとすると、躁状態の男性のように、親の姿は一度も見かけたことがない、あれこそが正解なのか?とも思う。

一方で、牛歩の男性はおそらく、親が付き添っていなければ作業所にたどり着くことすらできないでしょう。

公的機関の支援を使えばいい、簡単に言うけども、移動支援はキャンセル待ちが激しい。

作業所に近いグループホームや施設も、おそろしくたくさんの利用希望者が待機しているはず。

そうなると送迎ありの生活介護の事業所に入ればいいのかな…。

いずれれにせよ、選択肢はとても狭くなるんですよね。

重度の子の親は、子供がオッサンになっても、いつまでも介護をやめることはできない。

あの、牛歩の親子を毎日見かけるたびに、私の心は重苦しい気持ちになるんです。

太郎が幼児期の頃から、私は太郎の黒子のように寄り添ってきました。

登下校は、常に犬の散歩スタイルで。

太郎を前に一人で歩かせて、後ろからそっと尾行するようについていって、「よそ見しないで」「右端に寄って」などと声かけしています。

未就学児時代の親子同伴療育とか、リトミックや音楽療法などの場でも、太郎の背後で黒子のようにつきまとっていた私🤣

ですけど・・・

一体私の黒子人生はいつまで続くんでしょうね😂

 

 

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いつまで続く?私の黒子人生” に対して6件のコメントがあります。

  1. こー より:

    こんにちは
    太郎くんのストレスなんなんだろう?
    そこを分かれば少しは良いのにね。
    黒子か。。。

    サナさん煮詰まってますか?
    大丈夫ですか?
    お泊まりとか体験させてみるとかどうでしょう、プロの目からみてのアドバイス貰えるかも。
    うーん太郎くん意外ともう子供じゃないと思っている?心のジレンマ。

    1. 稲倉サナ より:

      そうなんです、私もそう思うんですけど、意外と子供じゃないと思っている、そのジレンマからイライラすることが多いのかなと。
      一人で何でもできると思っているのに、いつも見張られている感じも本当は嫌なんだと思います。
      知的障害者の重い子はどちらかというと大人しい(エコラリアや奇声、常同行動は別として)子が多いのですが、太郎は衝動的で激しいタイプなので、それもまた問題行動につながっているのかと(´・ω・`)
      お泊り体験そろそろやってみたいですね。コロナの影響でずっと受付中止されていて、まだ再開していなんですよね…。

  2. まる より:

    うちは軽度ですが
    「ケーキを切れない非行少年たち」
    を読み、やはり思春期以降の難しさが
    今後はあるのだと感じました。
    こちらの本はちょとしたトレーニングの
    事も書かれていて、幾分救いがありました。

    障害は重い軽いに関係なく
    家族が抱えるものは大きいですね。

    さなさんも、毎日本当に送迎大変かと
    思います。太郎くんも何か環境の変化で
    感じるストレスがあるのかもしれないですね。
    さなさんにとっても太郎くんにとっても
    良い方法が見つかると良いのですが
    そう簡単にはいかないですよね。。

    1. 稲倉サナ より:

      幼少期は重度の子の世話は大変だと思うのですが、青年期は軽度の子の方が抱える問題が深刻なような気もします。
      青年期以降の障害者への支援はおそらく障害が重い人から優先にされるでしょうから、軽度の知的障害者はいかに自分でできることを増やしていくか、それが大切になるのかと。
      そういう意味では重度の場合は私たちが死んだ後も誰かしら助けてくれるだろうという安心感はありますが、それも強度行動障害などを併発してしまうと預け先が無くなることもあり、問題行動がおさまらない今、不安でいっぱいです。
      今日、障害者支援施設で知的障害者が虐待を受けている記事を読んで、施設に預けるにしても自分でできることを増やし、愛される人間に育てることは防衛の意味もあるかと思いました。(そう育てたとしても虐待を受けてしまう人もいるのでしょうけど)
      障害が重くても軽くても、親が元気なうちに本人が1人になったときに困らないように、いろんな事を身に付けさせることの大切さを実感しています。
      お互いがんばりましょう!

  3. stairs より:

    うちの子は軽度知的障害なので、太郎くんとはまた違う悩み、難しさがあるかと思います。私の人生も黒子ですよ。たぶん一生そうなんだと思います。
     

    1. 稲倉サナ より:

      そうですね。軽度の子の親は物理的に子供の後ろを歩くことはないかもしれないけど、フォローは一生涯必要ですよね。
      短期的スパンでお金の管理ができたとしても、長い目での管理は誰かがみてあげなくてはならない。
      そういう意味では障害の重い子の方が支援が受けやすく、軽い子は親や家族が面倒を見ざるを得ないケースが多そうです…。
      障害がある子の親は、きっと一生黒子人生なんでしょうね(´・ω・`)

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