「この子を殺して私も死ぬ」と思ったことのある障害児親はどのくらいいるのかな

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昨日のブログで仕事が忙しくなったと書きましたが

働きたい?働けない?障害児ママのお仕事事情

なかなかいいペースで作業が捗り、ちょっと余裕ができたので、今日は書くのに時間のかからない記事を1本書こうと思います。

 

他害って本当に辛い。死にたくなる。

 

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重度知的障害を伴う自閉症の息子・太郎は、この春高校生になりましたが、いまだに他害が完全には無くなっていません。

知的障害が重くて、言語遅滞があって喋れず、自閉度も重くて、多動、他害。

幼児期は正直なところ、人間の子供を育てている気がしなかったほど、それはもう大変な毎日でした。

私の心に棲みつく悪魔

当時に比べれば今の太郎の他害は大したことではないけれど、でもやっぱり凹みますよね。

もうね。他害って本当に辛い。

幼稚園とか、学校とか、迎えに行ったときに先生が神妙な顔をして出てくると、先生が裁判官みたいに見えるんですよ。

私はおそらく死刑を宣告されるであろう被告人。

罪状は息子の他害。

今日の被害者は5人。うち1人は無抵抗の、寝ていた女児のお尻に噛みついた😂

主文。被告人を死刑に処する。

 

で、タイトルの件ですよ。

よくニュースで障害のある子を殺して自分も死のうとしたけど死ねなかった、みたいな事件ありますよね。

将来を悲観して、とかそういうの。

私、その感覚が全くわからなくて😂

太郎が毎日のように数人単位に噛みついて、私はすみませんすみませんと謝り続けて、泣きながら謝り続けて、そういうのが来る日も来る日も続くともうね、「死んでくれたらいいのにな」なんて恐ろしい事を考えるようになるんですよ。

もしくは自分が死ねたら楽になるのにな、とか。

けどそれは決して心中ではない。一緒には死にたくないんです。

私はあの世に行ってまで太郎のやらかしたことで謝り続けたくなんかない。

一人になりたい。

あの頃の太郎は私の事を空気のように無視していたし、触らせてももらえなくて、私はただご飯を作って世話をして謝って、っていう毎日を、感情を殺して生きていました。

 

だから「この子を殺して私も死ぬ」っていうお母さん。

子供のことを愛しているんだな、って、ちょっとうらやましく思ってた。

私は子供の将来を悲観したことなんてなかったんだから。

明日のことすら考えられないほど、私は毎日その日に起きる問題を片づけるのに精いっぱいだった。

 

今は死にたいとは思わなくなったけど

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年齢を重ねるごとに、太郎の他害はちょっとずつマシになってきた。

人数が減った。

頻度が減った。

そして、いつしか太郎の視野の中に、私が入るようになった。

無視されなくなった。

目が合うようになった。

目を見て笑うようになった。

 

そうなってくると、ようやく、太郎のことを愛しく感じられるようになった。

やっと「死んでくれたらいいのにな」と思わずに済むようになってきた…。

 

でも、一方で思うのです。

 

他害は完全には無くなる日はくるのだろうか?と。

太郎は本当の意味で善悪の判断がついていません。

悪い事をしたら怒られるからやらない、と思っているだけで、何故それをやってはいけないのか、理由は理解できないのです。

太郎はこの先、もしも、犯罪とされることをするようになったら、

傷害。殺人。窃盗。性犯罪。

絶体しないと、言い切れるんだろうか。

 

本人はいずれも、怒られるのが怖いからやらないだけで、何故やってはいけないのか意味がわからないんです。

もし太郎が犯罪と言われるようなことをやるようになったら、

私はその時初めて思うのかもしれない。

 

この子を殺して私も死ぬ、って。

 

こういう心配をしなきゃいけないのが、他害のある子の親の宿命なんですかね😂

障害のある子の親として、私は贅沢な事を言うつもりはない。

企業での一般就労がしたいとか、そういうことはどうでもいい。

 

人を傷つけるようなことだけはしないでほしい、ただそれだけ。

 

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「この子を殺して私も死ぬ」と思ったことのある障害児親はどのくらいいるのかな” に対して6件のコメントがあります。

  1. にゃんこ より:

    私も子供が小さい頃は毎日死にたくて辛くて、夜布団からに入ってから朝まで泣いていました。
    本当に毎日。
    保育園の三年間がとにかく辛かった。
    障害児の親になった事が辛くて、子供の成長の遅さが辛くて。
    生まれて半年経っても寝返りしない、一歳になっても。
    寝返りしないので当然、お座りもハイハイもしません。
    一歳過ぎて保健センターの発達相談で受診をお願いして、県で一番大きなこども病院を紹介してもらって。
    受信したその場で軽く寝返りした我が子。
    バツが悪かったなぁ。
    その後もハイハイはズリバイをやっとするようになって、一歳半すぎて初めて立ってから歩くのはすぐでした。
    言葉は二歳で単語。三歳で二語文。
    こちらも遅くて。
    運動精神発達遅滞と診断されました。
    いつかは追いつくと思っていたその頃の私。
    新生児の頃からよく寝る良い子で、楽だと喜んでいましたね。
    でも、年を重ねるごとに成長が追いつかず、保育園に通うようになってからはどもりもでるようになって。
    身辺自立を頑張らせていたので、とうとう自傷的な行動まで出るようになって。
    保育園では毎日毎日すみませんの連呼で。
    一生分謝ったと思います。
    皆んなについていけていない、ただそれだけですが、それが迷惑存在が迷惑だと謝っていました。
    負の歴史です。
    いつも、どうやって死のう。
    その時は息子も一緒にと考えていましたね。
    今、全くその考えがないか、と言われたらノーですが、積極的に死のうとは思わなくなっています。
    保育園だけではなく、小学校、中学校と色んな事があって辛くて、辛くて、辛かった。
    死なないで来られたのは小四で県の教育相談センターに繋いでもらったから。
    これはハッキリ言えます。
    専門家に継続して相談できたのは初めてでしたので、有り難かった。
    毎月、思いの丈を吐露する一時間が何物にも変え難い大切な時間で、癒しでした。
    毎月の相談日が待ち遠しく思っていましたね。
    今は年に三度ほど。
    穏やかな時間になっていますが、癒しではあります。
    私の苦悶の年月を共に歩いてくださり、真っ暗な道を歩む私の足元を照らして下さった相談員の方々にどれほど感謝してもしきれません。
    命の恩人なのです。
    繋いでくださった交流級の担任にも感謝しています。

    1. 稲倉サナ より:

      すごくよくわかります( ;∀;)
      私もまったく同じように感じながら生きてきたので。
      今も積極的に死のうとは思わないけど、辛さが完全に払しょくされたわけではないんですよね。
      ただ、専門家の方に相談できたことは転機となりましたね。
      理解してくれる人がいるだけで、どんなに心強いことか。
      子供にも当然支援は必要だけども、大人にも必要だと思います。
      特に母親は孤独になりがちですよね。

  2. ママリンコ より:

    絶対!と言う言葉使ったらあかんかもしれんけど、他害が少なくなっているなら、なおさらもっと軽減します。
    自傷も軽減するかと思うけど、自傷は少なくとも本人の何かしらの訴えと思います。
    他害も自傷も何かしらのコミュニケーションなのかもと?私は医師ではないので何とも言えないけど…。
    言語で意思表示できない人はどうすれば相手に伝えられますか?
    それが表現の仕方なんかなぁー?と思います。

    親としてサナさんはどれだけ頭を下げたかもしれません。サナさんが頭を下げた分、太郎君は成長しています!!

    1. 稲倉サナ より:

      他害は、確かに年々減ってきてはいます。程度も、少しずつマシになってきています。
      そうなってくると今度は太郎が苦しまなくて済むような環境を選んでいかなくては…と思い始めてきました。
      無理してたくさんの人と接するように仕向けなくてもいいのかなって。
      太郎のことを理解してくれる人の中だけで生活すればいいのかなって。
      叱られると辛いようで、エコラリアの内容が叱責の台詞ばかりになってしまいます。
      もう言い聞かせてどうにかなる時期は過ぎたのかな。

  3. こー より:

    こんにちは
    精神科にお手伝いに行っていたとき良く付き添って来ていた親御さんがサナさんと同じこと良く言っていたよ。
    傷害。殺人。窃盗。性犯罪。
    このような事を起こしたらこの子を殺して私も死ぬて。
    でも、病気なんだよね脳の。
    なんだか切ない(。-ω-)自ら選んだ訳じゃないし、好きなように暮らせないしね。

    1. 稲倉サナ より:

      そうなんですよね…。
      太郎も好きで選んだわけじゃない。
      かといって、世間にその価値観を押し付けるのも違う。悩ましいです(´・ω・`)

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