障害児のママになった私の、失われた数年間。

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ぼっちが平気な私、帰省しても会う友達が1人もいない問題。

今日はぼっち上等!というブログを書きましたが、本当に書きたかったのは「障害児ママの失われた数年間」についてのブログなんですよね。

今朝、NHK「おはよう日本」を見ていたら、35歳くらいになると友達が減っていることに気がついた、という事がトピックスとして取り上げられていました。

News Up 私、35歳 友だち減ってない? | NHKニュース

これを見て思ったんですよね。

女性はステージによって、友達がどんどん変わっていくし、どんどん減っていくものだよね、と。

 

障害児育児に追われ、友達は疎遠になっていく。

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重度知的障害を伴う自閉症の長男・太郎の幼児期はそれはもう、手がかかるなんてものではなく、壮絶な日々を送っていました。

私の心に棲みつく悪魔

多動・他害・破壊の三冠王で、とにかく目が離せず、私は片時も太郎のそばを離れることなく、自分の人生の大半を太郎のために費やしていた、そんな時代でした。

当時、夫の仕事が今ならちょっと問題になるくらい激務で、朝6時に家を出て帰宅は毎日深夜の1時を回り、会社に泊まってくることも日常茶飯事。

平日は子供が起きている時間に夫が家にいることは皆無でした。

両親は遠方にいて、現在のような児童発達支援もなく、一時保育も激戦区。

助けてくれる人もいないなかで、

私は一人、孤独な戦いを続けていました。

毎日生きているだけで精一杯でした。

太郎は家にじっとしていられないので、太郎を車に乗せて、どこか遠くの公園まで連れて行くのが日課でした。

近所の公園に行けば、子供たちが遊んでいて、ママたちは遠巻きにお喋りに興じていましたが

私がその輪の中に入れることなど一度もありませんでした。

この子が嚙みついたー!

誰も噛みつくような子供の親と仲良くなりたい人などいないのです。

 

公園ジプシー時代を振り返る

 

幼稚園に入園するまではとにかく子供を車に乗せ、知り合いのいない場所を目指して彷徨う毎日でした。

幼稚園に入園してからは、役員を引き受けたため、子供を預けている時間帯も結構忙しかったんですよね。

週に1~2日は幼稚園を休み、車で遠方の療育に連れていっていたので、幼稚園に入園しても、意外と自由な時間など無いに等しい状態でした。

私は子供がいない時代は友達が少ないながらも、一緒に遊んだり飲みに行ったりする人もいるにはいました。

会う時は宝塚やミュージカルを見に行ったり、カラオケに行ったり、お店でお酒を飲んだり。

子供が生まれた後は、夫が在宅する土日に約束して遊びに行くこともできたけれども、太郎があまりにも手がかかるため、気軽に夫に預けて出かける気持ちにもなれませんでした。

そうして、障害児育児に追われる私は、友達付き合いがどんどん疎遠になっていきました。

 

子供が小学校に上がって初めてできた自分時間

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太郎と次郎(次男)が2人とも小学校に上がったとき、ようやく私にも自分時間というものが訪れました。

幼稚園に比べると小学校は、日中の滞在時間が圧倒的に長い。

車で遠方の幼稚園や療育施設まで送り迎えをしていた事を考えると、本当にまとまった自由時間ができた感じでした。

1人になれる時間ができたときの嬉しさといったら😂

言葉では言い表せないほどの幸福感がありましたね。

まず、あの猿のような息子を預かってくれるっていうだけで

学校サイコー!って思ってました🤣

学校に行っている間に買い物をして、家事をして…っていうのもありましたが、最初の頃は1人でカフェでお茶したりランチしたり。

レディースデイに映画を観に行ったり、マチネの観劇に行ったこともありました。

嬉しくて嬉しくて、外出しまくっていましたね😆

それまでの失われた数年間を取り戻すかのように。

自分のものを買おうとショッピングに出かけたりもしましたが、結局、買ってくるのは子供のものばかり😂

自分のものは何も買えない自分がいました。

職業病だな🤣

 

子連れで集まっているママたちが羨ましかった

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けど、そのうち気がついたんですよね。

次男の関係で仲良くなったママに誘われて、子供たちが学校に行っている時間帯のランチ会に参加したときのことです。

そのランチ会には8人くらい参加していたんですけど、うち3人は下のお子さんを連れてきていたんですよね( ゚д゚)

これが噂の子連れランチか😲

ランチに子供を連れてくるって!

もう、そのことがカルチャーショックすぎて😂😂😂

いや、考えてみれば、これが幼稚園で、太郎が幼稚園に行っているあいだに、次郎を連れての子連れランチ会だったら。

うん、ありだな。

連れていける。

次郎だったら、連れていけた。

けど、太郎の幼児期にはまずそういう、ランチ会に参加するっていう時間がほとんど無くて。

子供が生まれても友達付き合いができる事実に衝撃😂

友達と会う時に子供を連れて行くっていう考えがなかったんですよね😂😂😂

思えば、就園前、療育のママ友たちと土曜日の夜、子供を夫に預けて飲み会をやったことがありました。

小学校に入学するまでのあいだに2回ほど、やりましたね。それが限界でした。なかなか夫に子供を預けて日時の調整をするのは難しくて。

そのとき、子連れで会おうなんていう考えは、誰の頭の中にも露ほどもなかったんです。

そこは障害児ママあるあるかな?と。

その後、次男の絡みで気がついたんです。

健常の子供なら「預けられないなら連れていけばいい」って。

うちは、太郎をママ友の集まりに連れて行くなんていう選択肢はあり得ませんからね😅

預け先がなくても友達と会える、そのことがなんだかうらやましかったですね。

いつかの、公園のワンシーンを思い出しました。

 

子持ちの外出、ハードルの高さ。

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子供が大きくなってからは、日中は自由に出歩けるようになったことは、本当に嬉しいものですね😆

でも、本当のところは私、飲み会が好きなんですよね。

会社員時代の同僚たちが飲み会を企画して連絡してくるんですが、たいてい平日夜なんです😩

子供のいるママもいますが、すでに子供が大学生だったり、旦那さんがなんとか都合をつけて帰ってきてくれたり。

でもうちは無理。単身赴任だし🤣

そうこうしているうちにコロナ禍で、飲み会自体、企画されることもなくなりましたけどね…。

 

太郎の発達障害が判明し、障害児育児に翻弄され、数年間はまるで記憶を失くしたかのように必死に生きて、それまでの交友関係のフォローなんて、二の次になってしまって。

大切なご縁も、失ってしまいました。

私も、太郎との辛い日々を、幸せだったあの頃の人たちに、あまりにも悲惨すぎる現実を、知られたくなかったのかもしれません。

気がつけば、失われた数年間。

失くしたものが、とても多いような気がします。

 

夫がもう少し時間に余裕がある職場だったら。

両親が近くに住んでいれば。

 

そんな「たられば」も考えたところでどうにかなるわけもなく。

これも障害児のママとなった私の宿命なのだと。

 

今は自由時間もたくさん増えたことだし、ダラダラやってないで、大切に使おうよ、時間を。

なんて思うんですけど、時間があったらあったで、だらけてしまう私です😗

 

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障害児のママになった私の、失われた数年間。” に対して6件のコメントがあります。

  1. ママリンコ より:

    環境が変わると共に、なかなか話せなくなってしまって、疎遠になっている友達多いわぁ。
    結婚して、子供が出来て、相手も環境変わるしね。私も今も連絡しているのは、結婚してても子供がいないとか、独身とかかなぁ?
     サナさんが実家に帰省したら、せひ会いたいと勝手に思っております。(笑)そして、勝手に心の友とも思っています。

    1. 稲倉サナ より:

      環境が変わったり、忙しさにかまけたりして、なかなか会えなくなるうちに疎遠になってしまうんですよね。
      特に私はどの人と会うのも、食事やお酒を共にすることが多かったので、コロナ禍によって完全に音信不通になってしまった人が増えました(´・ω・`)
      今年の夏も帰省できないかもしれないです。次男の勉強の都合もあって。・゚・(ノД`)・゚・。
      私も心の友よ!と思っていますよ、ジャイアンみたいですけど(笑)

  2. こー より:

    こんにちは
    大変苦労してきた時代があって今のサナさんが居るんだと思います。
    「隣の芝生は青い」と言うことわざが有りますが、人間皆そうなんじゃない。
    私も、子供出来ないことでいろいろ有りましたよ(^_^;)
    今思えば懐かしい(ちょっと強がってみました_(^^;)ゞ)
    皆なんだかんだ悩みがあるもんだ、不平不満いだかず生きれればいいんだろうけど人間てやつは、どうしょうもない生き物だぁ。
    話し全然それるけど、今家の近くにカラスが子育てしているんだ、子を敵から守る親カラス凄いよ、物凄く鳴き声うるさいけど巣立ちまで見ていたいよ。
    全くもってどうでもいい話でした( *´艸`)

    1. 稲倉サナ より:

      「隣の芝生は青い」まさにそうですね。
      私も子供ができない時期が長かったので、子供ができた時はあんなに嬉しかったのに、それが自閉症だとわかって天国から地獄みたいな心境でした。
      人間は欲張りな生き物ですね。(人間というより私が欲張りなだけかもです。汗)
      太郎の幼児期は何も考えられないくらい生きる事に必死でしたが、今はみんな口に出さないだけでいろんな悩みを抱えて生きているんだな、ということに気がつくだけの余裕もでてきました。
      人の痛みがわからないということは悲しいことですね。
      私もちゃんと周りを見て、痛みに気が付ける人でありたいと思います。
      カラスの巣立ち!カラスというとゴミを狙って飛んでくる敵のイメージでしたが、子を守る親ガラスを見てみたいです。可愛いんだろうなぁ( ´∀`)

  3. z1974 より:

    今年入ってから本当にしんどい時に、20年ぶりに電話で会話した友人がいます。子どものことで悩んでいて、自分が子どもの年の時に知り合えた友人に相談できて良かった。 疎遠になっていても勇気だして連絡してみては? 私の友人には、若くして亡くなった子もいます、今この時に生きていて話せるのはありがたいです。

    1. 稲倉サナ より:

      私も会社員時代の先輩で、どうしてももう一度仲良くしたいと思っている人がいるんですが、なんどかメールをしても返事が来なくて。
      年賀状だけは来ているので、縁は切れていないのですが。お互いいろいろ大変な時期があって、疎遠になってしまったんですけどね。
      あまりしつこくするのも悪いかな…と思い、最近連絡しないでおいたのですが。
      確かに生きているうちに、話したいと思っている人には勇気を出して連絡した方がいいのかな…。
      なんとなく子供に重い障害があると、以前の自分ではなくなってしまって気がして、昔の自分を知っている人に会うのが怖いのです。

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