親ガチャ、子ガチャ。

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親ガチャとは「子どもは親を選べずどの親のもとに生まれてくるかによって人生が決まっている。努力しても覆すことができるものではない」という意味を、カプセルトイなど商品の購入方法がランダムなガチャに例えた言葉。

最近、いろんな方が「親ガチャ」について語っていらっしゃいますが、この言葉を聞くたびに私、複雑な気持ちがします。

自閉症の息子が可愛く思えない理由がわかった。

親からこんなふうに思われている自閉症の長男・太郎にしてみれば「親ガチャに外れた」というところなんでしょう。

私も、心のどこかで「子ガチャに外れた」と思っているのかもしれません。

 

私自身が子供の頃「親ガチャ」に外れたと思っていた

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出典:イラストAC

今年の4月、アメブロからWordPressに引っ越してくる際に、私自身の子供の頃のことを書いた記事は非公開にしています。

Googleアドセンスの審査合格のために記事を絞ったためで、そのうちまたリライトして記事にしていく予定ではありますが。

私の子供時代は、お世辞にも恵まれたものではなかったと思います。

これを語り始めるときりがないので😅

親ガチャに外れた。

と今でも思うことがあります。

裕福なおうちの子が羨ましいと。お金のことを考えずに、進学先を決められるのって、本当に恵まれているよね、と。

私は小学生の頃から、多忙で眠る時間も十分にとれない親のかわりに、家事全般を引き受けてきました。

私たちが寝る時間までに両親が家に帰ってくることがなかったからです。

(両親が帰宅するのは深夜1~2時くらいでした)

高校生のときは自分でお弁当も作っていたし(兄の分も)、当時流行していたバルーンスカートも、節約のために自分でミシン縫って着ていました。

お金持ちの友達のことを、心底羨ましいと思っていたんですけどね。

でも今思うと、親が家にいなかったおかげで、私は今の自分がいるんだと思うわけです。

器用で、たいていのことは何でもできる。

男の人に頼らず、親に頼らず、何でも自分一人でできる。

就職してから一人暮らしをするときも、会社に60万円借金(住宅関連の融資ですが😅)して引っ越しました。

車の免許も、親にお金を出してもらうのが申し訳なくて、就職してから自分のお金で免許を取りました。

お金を稼ぐようになってからは、帰省のたびに親にお金を渡しています。

うちの親は言います。

普通は逆だよ、と。

私の周りはみんな、子供や孫に帰省してもらうためにお金を渡している人ばかりだよ、と。

私はなんて幸せ者だと、親から感謝されています。

そんなとき思うんです。

小さい頃から親を頼れなかったから、何でも自分でやってきた。

そのおかげで何でもできるようになった。

苦労している親の背中を見ているから、親を労わり優しくすることができた。

ガチャに外れたと思っていたけど、もしかして当たりだったんじゃないの?

シークレットのガチャ引いた感覚なのかな😂

逆に、あの人は当たりを引いたよね?と思っている人も、実は「親ガチャ外れた」と思っているのかもしれません。

家庭の内情は、お金では測れないものですね。

 

親ガチャは努力したくない若者の言い訳?なんて記事もあるけど

出典:pixabay

最近立て続けに「親ガチャ」関連の記事を読むことがあって。

たいていの記事は「親ガチャ、あるよね」と肯定しつつも、最終的には努力次第でなんとかなる、と締めくくっているんですよね😗

過激なものは「親ガチャは努力したくない若者の言い訳」とまで書かれてあって😂

まあ、そういう若者もいるんでしょうね。

でも思うんです。私は。

努力は二の次でしょ?結局のところ、生まれてくる境遇に左右されるよね?と。

例えば、母親の彼氏に熱湯をかけられて亡くなった3歳の男の子は、まさに親ガチャに外れたとしか言いようがない。

男の子に努力する余地なんて1ミリだってない。

この件は行政が叩かれていますよね。

こういう事があると「行政が悪い」という声があがりますが、本来はまず親がしっかり子供を守るべきじゃないんですかね。

少子化だから、子供は国の宝だから、産んだだけで偉い、産んだ後は国にお任せ!っていうので、いいんでしょうか?

仕事だからといって他人の子供に、どれだけ親身になれるものなんでしょうかね。

なりたかったとしても、人手が足りないのが現実だと思います。

それにこの件は母親の相手が再婚相手ならまだしも”彼氏”。

これってどうなんでしょうね。

「別れればいいじゃん」いや、「さすがに別れるだろう」と思われていたんじゃないんですかね?

結婚していれば離婚はそう、簡単にできるものではないですが、彼氏なら、子供が虐待されているなら、別れればいいじゃん、と思っていたフシがあるのではとも思うんです。

でも、母親は別れなかった。

それどころか男と子供を2人きりにして出かけてしまった。

世の中には子供<男という母親がたくさんいますよね。似たような事件、たくさんありましたね。

子供は親を選べない。

痛ましい話です。

 

「子ガチャ」なんてものは存在しない。

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一方で、「子ガチャ外れだな」と思っている親もいますよね。

私は重度知的障害を伴う自閉症の息子・太郎がいることで、同じ境遇である障害児のママが書いたブログやSNSを見る機会が多いです。

そんな親御さんの中で、あきらかに子供が障害を持って生まれてきたことに対してガッカリしているというか、「外したな」という気持ちがあふれ出ている方っているんですよね。

あ、もしかして私もそう思われているかな😂

まあ、外したとは思わないまでも、「どうしてうちに生まれてきたのかな」「どうしてうちなのかな」なんて思うことはありました。

これって、思うような子供が生まれてこなかった=子ガチャ失敗という、深層心理があるんでしょう、結局のところ。

私自身にもそういう思いがあるということなのかもしれません。

でも。

親ガチャと子ガチャは違いますよ。

子供は親を選べないけど、親は子供を産まないという選択肢はありましたよね?

選べているんですよ。

いやでも、それって子供を産むか産まないか、っていう程度の選択肢だよね?

優秀な子が生まれるかどうかというガチャ要素はないよね?

そう思う人もいるかもしれませんね。

でも。

例えば容姿がいい子を産みたければ、容姿のいい結婚相手を、頭がいい子を産みたければ、頭脳明晰な結婚相手を選べば、そういう子供が生まれてくる確率も上がりますよね。

まあ、そう都合よく相手は見つからないし、結婚だってできるわけじゃないですけど🤣

でも、生まれた後に、容姿も頭脳も、伸ばすことはできますよ。ある程度は。

それには親自身も努力が必要ですけど。

 

まあでもね。なんだかんだ、子供の立場からすると、親はやっぱり選べるんですよ。

子供は、生まれてくることすら望まなくても、生まれてきてしまうじゃないですか。

生まれる事を拒否することなんてできない。

親は産むことを拒否(避妊・堕胎)することはできますよね。

障害児を育てたくないのであれば、子供は産まないという選択肢もあるわけです。

子供を産むということは、たとえ生まれてくる子がどんな子であったとしても、責任が生じるのだと私は思います。

産んだ後に、その子に障害があったら、母親がほぼ1人で背負っていくにはあまりにも過酷だとは思います。

それでも望まない妊娠・出産ではなかったのだとしたら。

国や福祉に丸投げするような姿勢じゃなくって、基本的には子供の一番そばにいて一番よいと思うことを選び、育てていけるのは、母親(父親)である自分だと。

もちろん、助けは必要です。でも、選び、決めるのはあくまでも親自身。

そういう気構えは必要なんじゃないかと、思うんですけどね。

うざい、と思われるんでしょうかね、こういうの。

 

私も大変だけど、太郎も好きで障害を持って生まれてきたわけじゃないんだよな、って。

 

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親ガチャ、子ガチャ。” に対して6件のコメントがあります。

  1. にゃんこ より:

    親ガチャ、何で、言葉がなかった頃の子供たちは、自分は本当は貰われっ子で本当の親は裕福でいつか迎えに来てくれるはず、なんて思っていましたよね。
    前にも書きましたが、私もお世辞にも普通とは言い難いかなりの貧乏な家に生まれ育ちました。
    両親共に中卒。仕事は第一次産業。
    私は高校三年間バイトでお小遣いを得ていました。
    学校は奨学金をもらって。
    大学は行かせてもらえず、ですが、行く実力もなく。
    兄がいて、兄だけ東京の私立へ。
    卒業後、公務員になって田舎へ戻りました。
    私も帰省のたびにお金を包んだし、結婚式の費用は自分で工面して、高校卒業後は親にお金を出してもらった事はないですね。
    生きる力をつけさせて貰ったと思ってます。
    貧乏で甲斐性はなかった親ですが、根性と、努力する力は私に授けてくれたんだと思ってます。
    三回転職しましたが、良い会社に入れたし、どの会社でも上司に恵まれました。
    貧乏でしたが、親に愛されて育ったと思ってます。
    それが良かったのか、自己肯定感高めで、遠慮なく人の懐にもぐりこんでいく図々しさが育ったのかも知れません。
    子供はね、私、本気で頭の良い子供が生まれると信じてました。
    なーんかね、恥ずかしながら、親に褒めてもらいたかったみたいです。
    優秀な孫を産んですごいね、って。
    ほら、私は高卒なのでね。
    二人産んで一人はアホ。一人は知的障害児で落ち込みましたが。
    産んじゃったものは仕方ないので、可愛がりましたよ。
    障害児の方は完全に私の遺伝だと判明したので、責任をもって可愛がってます。
    生活力をつけるのも親の責任ならば、嘘でも演技でも良いから愛情を示して育てるのも親の責任だと思っています。

    1. 稲倉サナ より:

      子供は親の背中を見ていますよね。
      親に愛されて育つということの大切さを読み取りました。
      にゃんこさんはコメントの中にもお子さんへの愛が感じられますもの(*^-^*)
      愛情は心で思うだけじゃダメで、言葉にしなくちゃ、ですね。
      頭ではわかっていても足りていないかも(;’∀’)
      意識して愛情を伝えてみようと思います!

  2. cosflo より:

    親ガチャ外れた、は娘が夫に最近まで抱いていた感情です。長男もかな?そう思われるほどに、夫の暴言・暴態度は酷かったです。夫の思い通りにならない子どもは酷いことを言われてもされても当然と本人が言っていて、我慢がならなかった私は、あなたのことを捨てるよ?くらいの態度で話し合いました。勇気を持って話したら、態度が180度変わりました。何の話をしたいのかと言うと、環境は変えられないこともあるけれど、自分の考え方、対処の仕方は変えることが出来て、それをして頑張っていたら、何かご褒美がある、ということです。サナさんもいろいろとあったと思いますが、私もあって、それを乗り越えて今がある。そして今まで通りにまた頑張ってしまう。そうしてどうにか幸せに近づく。努力を続けながら。難儀だけど、頑張りましょうね。

    1. 稲倉サナ より:

      cosfloさん、偉い。旦那さんにきちんと伝えられ、話し合いができたことは素晴らしいと思います。
      「環境は変えられないこともあるけれど、自分の考え方、対処の仕方は変えることが出来る」
      そうだな、そうだと思います。私も太郎を育てていて、太郎を変えることは難しいけど、自分を変えることはできる、と。
      最近ようやくそういうふうに思えるようになりました。
      旦那様も変わってくれて良かったですね(*^-^*)
      自分以外の誰かと一緒に生活することは、思うようにいかないことも多く、問題が起きればしんどいと思いつつも泣きながら対処し、一つ一つ乗り越えていって。
      まさに、そうやってきて、今があるんですよね。
      幸せは歩いてこないだから歩いて行くんだよ、って水前寺清子さんもおっしゃっていますしね’`,、(‘∀`) ‘`,、
      お互い頑張っていきましょう!

  3. こー より:

    こんにちは
    私には選ぶ事さえ出来ませんでした、いろいろですね。
    事件悲しい救えなかったのか?無力❗️

    1. 稲倉サナ より:

      子供が欲しくても叶わない人もいる一方で、産んだらお役御免とばかりに育児放棄をする人もいて。
      難しいですね。
      この事件はあまりにも惨く、胸が締め付けられます。
      近年、同様の事件が増えてきているような気がします。
      自分でSOSを出せないほど幼い子の場合は、どうすればいいのでしょうね。

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