自閉症児のママ友たちと交わす会話の変遷

出典:pixabay

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

 

先日書いたこちらのブログ↓

自閉症を免罪符にして躾を放棄する母親

 

たくさんのコメントをいただきありがとうございましたm(__)m

今日は、コメントのやりとりをしながら思いついたことについて書きたいと思います。

 

うちの太郎は1歳半検診で自閉症疑いとなり、2歳で診断がおりました。

知的障害もあり、大変手のかかる子供でした。

中学生になった今は、幼児期に比べるととても楽になったな、と思うのですが

それは太郎が成長した、というだけではなく

母親である私が成長した

と思うんです。

 

言うならば、10数年かけて

障害児のいる生活に慣れた

という感じ。

 

太郎が幼稚園の頃はただひたすら辛い毎日で、どうやったら楽になれるかばかりを考えていた。

小学校にあがってからは、少しずつできることが増え、成長を喜び、この子はどこまで伸びるのか?と期待した。

そして中学生になると。

だんだん、太郎の限界が見え始めてきたんですよね(´・ω・`)

 

もちろん、中学生になってからも日々成長しているし、

伸びしろがないと言われている言語面も思いの外伸び続けている。

ただ。

 

もうなんとなく、

成人したときにどんな感じになっているかが想像できるようになってくるんですよね。

 

そうなると、中学生になってからは、幼少期の頃のように

「あれができない、これができない」

とい愚痴っぽく思うこともほとんどなくなりましたよね。

 

もちろん、強烈な問題行動を起こされた時は凹みますけど。

ブログにも書いてますよね。

 

もうね。今さら、

どうしてこの子はこんなこともできないんだろう😭

って、悲劇のヒロインぶっている時期はとうに過ぎた、という感じなんですよね。

 

障害児の親になってから歴がそこそこ長いので。

いい加減、現実に向き合えるようになってきたんですよね。

辛いこともまだまだたくさんありますけどね。

 

そういう、障害児の親になってからの気持ちの変化は

実はママ友たちとの会話に片鱗が見られるんですよね。

 

療育センターや幼稚園、小学校、中学校と、それぞれ障害児を持つママ同士で交流があるわけですが、

その時々でどういう会話がメインだったのか?というのを思い出してみました✋

 

未就園時代・幼稚園

子供の辛い面を嘆いていた時期。

大変なエピソードを吐き出し、共有。慰めあっていた。

療育先、療育方法、病院の情報交換。

障害児に理解ある幼稚園の情報交換。

とにかく辛い毎日の愚痴を吐くことで救われていた。

少しでも子供にいい環境を探そうと躍起になり、情報を乞うていた。

 

小学校

まだまだ子供は問題行動も多いが、

親子ともども、とりあえずの居場所が見つかった安心感を実感する時期。

別の進路を歩んだママ友と情報交換をしつつ、

このままこの生活を続けてもいいのかどうか模索する時期でもある。

有効な接し方の共有、成長したことの喜びを報告しあう。

進学についての話題が多く、我が子だけでなく、他の子の進路もとても気になる時期。

いい病院があれば、転院も考えている。

少しでもいい環境があれば、移ることも視野に入れて情報交換を続けている。

 

中学校

そろそろ成長も頭打ちになった子供の状態を認識しあう時期。

将来について漠然と話すことが増えてくる。

(卒業後の進路、就労、グループホーム、親亡き後の人生など)

子供に対する愚痴は笑いながら話す程度。

 

幼児期はそれこそ、

命がけで情報交換していましたね。

良いという情報があれば、なんでも試していた時期です。

 

このママ友ネットワークは命綱のようなものでしたね。今考えると。

 

子供が中学生になった今も、

命こそかけなくはなりましたが’`,、(‘∀`) ‘`,、

 

やはりママ友ネットワークはかけがえのない存在ですね✨

進路についての情報は、インターネットでは実のところはわかりませんから。

やっぱり何と言っても

口コミ

って侮れないです👍

 

私は引きこもり体質なので、友達も本当に少ないんですけど。

子供の障害が重いゆえ、学校の送り迎えをせねばならず、

そうすると自ずから他のママとの交流もあるわけです。

役員も積極的に引き受けていますしね。

 

こうして振り返ってみると。

子供の成長とともに母である私の考え方や感じ方もずいぶん変わってきたんだなぁ・・・と。

シミジミ思いました。

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