知らぬは親ばかりなり!外弁慶の子供の本性
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こちらはアメブロ時代に書いた記事なんですが、先日友人に会った際にちょうどこの話題が出たので修正・加筆してUPします。
順番へのこだわりから周りの子とトラブル多発の発達障害児
出典:いらすとや
先日、会社員時代の友人と会う機会があったんですよね。
その友人は結婚・出産が早かったので、大学を卒業して社会人になった娘さんがいるんですが、その娘さんの職業というのが幼稚園の教諭だということは以前から聞いていたので知ってはいたんです。
で、ちょうど話題がうちの太郎(重度知的障害を伴う自閉症児)の話になった際に、友人がちょっと困惑したような感じで切り出したんです。
「実はうちの娘が今、まさに発達障害の子のお世話をしていて…」と。
その発達障害の子は知的な遅れはなく、むしろ記憶力などは普通の子よりも優れているらしく、ちょっとしたギフテッドのような能力を発揮しているそうです。
一方で自閉的なこだわりが強い子でもあり、なかでも順番に対するこだわりがかなり強く、クラスの他の子供としょっちゅうトラブルになるのだと。
しかしながら友人の娘さんもその子の専任のお世話役というわけではなく、ただ問題行動があまりにも多すぎるために、成り行きでお世話担当のような感じになってしまったのだそうです😂
その問題行動というのが他害にまで及ぶこともあるそうで、ほとほと困り果てた娘さんが親御さんに相談するも
うちの子は家ではそういった問題行動は一切ありませんが?
と暖簾に腕押し状態なんだとか😂
それを聞いて思ったんです。
その子は外弁慶なんだろうと。
自宅では”いい子”学校ではいじめっ子の外弁慶くん
出典:いらすとや
ちなみにうちの太郎の幼稚園時代はというと、外弁慶でもなく内弁慶でもなく、常に弁慶でした🤣
24時間365日常に弁慶🤪
太郎は幼児期、多動・他害・破壊の三冠王で、自宅でも幼稚園でも暴れまくっていましたから😂😂😂
そんな感じだからお迎えに行くのが超絶、憂鬱で仕方ありませんでしたよね。
今日は何をやらかしたかな😭なんて思いつつ、できることなら一生お迎えになんて行きたくないわとすら思っていました。
一方。
一方ですよ。
次男の次郎といえば、赤ちゃん期からそれはもう、手のかからない子供でした✋
幼稚園に入園したときも、入園式の入場の際に、一番手のかからない従順な子供が選ばれるという一番先頭のポジションをゲットしていた次男です😅
幼稚園のお迎えでも毎回、判をついたように、
「今日もとてもいい子でしたよ」
「お友達と仲良く遊んでいました」
と、それしか言う事ないんかい?っていうくらい、毎回とてもいい子にしてくれていたんです。
「今日もお友達の腕を噛んでしまいまして」
っていう、長男との違いがあまりにもあんまりすぎてもうね😂😂😂
まあでも、そんな次男も自宅では太郎に悪態ついたり、暴言吐いたり、ジキルとハイドか!というほどの豹変ぶりだったんですけどね😅
そんなようなことを次男の小学校の担任に話したことがあったんですが、そのときに先生が言ったんですよ。
次郎君は学校では本当にまったく問題を起こさず、いろんな友達と仲良くできるバランスのいい子です。
きっと次郎君は内弁慶なんですね。
って。
注:内弁慶=家の中で威張る人、外弁慶=家の外で威張る人
で、その先生はこうも言ったんです。
たいていの子供はみな内弁慶だと。
外で頑張っているからこそ、家ではリラックスして、親にワガママな態度をとったりするものですよ、と。
そして、こちら☟のリンク先に書いてあるようなことをおっしゃっていたんです。
【育児】保育園では良い子なのに、家ではモンスター!「外面がいい」って問題あり?(1/2) – ハピママ* (pia.co.jp)
本当に怖いのは外弁慶の子供です、って。
以下は上記リンクの記事からの引用です✋
私が園で仕事をしていた頃、そんな子がいました。園でお友達に意地悪したり、先生を困らせる行為をわざとしてみたり。家庭でも同じように問題行動が収まらないのかと思いきや、母親が迎えに来ると“借りてきた猫”のように態度が豹変するのです。親の顔色を常に伺う子でした。
親御さんに園での様子を包み隠さず報告すると、「そんなはずはありません。家ではとってもいい子なんです。お友達が先にけしかけたのではありませんか?先生の対応が悪いのではないですか?」と反対に苦情を言われる始末でした。
そして、いたわ😂
次男の小学校時代に、まさにこの典型的な外弁慶親子がいたんですよ😅
その子は絵にかいたような外弁慶であるジャイアンのようなタイプとは違って。
最初はごく普通の大人しい子だと思っていたんです。
先生の指示にも従えていたし、お友達とも一見仲良くやっているふうに見えました。
ところが蓋を開けてみると、実はいじめっ子だったんですよね😂
それも、先生にバレないようにうまく立ち回るタイプの。
なんなら、大半の同級生すらもその子がいじめっ子だということに気がつかなかったくらいで。
ただ、その子が高学年になる頃には、さすがにお友達や先生もその子の本性に気がついて。
たびたび問題を起こすようになり、ついにその子の母親が学校に呼び出されたんです。
けれどもその子の母親は言ったんです。
うちの子がイジメなんてするはずがない!
と。
人見知りで大人しくて言いたいことも言えないうちの子こそが、むしろイジメの被害者だと。
え?
むしろイジメの被害者?
いやいやいやいやいや
いやそれさすがに図々しすぎだろうよ😂
ですが、その母親は本気でそう思っているらしいですよ😅
何しろその子は外弁慶。
家の中では、親の前では超絶いい子にふるまっているんだそうですよ(‘A`)
そういえば、保育士をしているママ友が言ってたんですよね。
やんちゃ系の子の母親が言う「うちではちゃんとしているんです」みたいな類の言葉は基本1ミリも信用していない。
って。
大変だな~😅😅😅
そして冒頭に書いた友人の娘さんの話に戻りますが。
どうやら親御さんはあまり子供の障害について深刻に考えてはいないようで、小学校は普通級に…と考えているらしく、ただ今この状態でフォローなしに普通級に入ったら大変な事になる、と。
幼稚園の先生方は戦々恐々としているそうですが、かといって「なんもいえねー」状態なんですと😂
親御さんが認めていないことに関して強く進言なんてできないですもんね。
わかりみ深すぎる😂😂😂
母親の前では”いい子”タイプの子は、周りが何とかしてあげようとしてはくれないので(親が激怒する展開になってしまうため)、行く末が心配になりますが…。
こればっかりはどうしようもないんですかね…。
ちなみにうちの子たち、もしかして今は外弁慶になっていたりしないかな?
と、ちょっと心配になっちゃいました😅
知らぬは親ばかりなり、ですからね😂
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おっ?呼ばれましたかな?
はーい、ガッツリ外弁慶でしたー。
親の前ではいい子、外では無類の暴れん坊でして。
常に通知表の考察欄には先生方の罵詈雑言が、細か〜い字で書かれていましたね、中三まで九年間、ずっとです。
これ、長男の成績で思う所があり、私の通知表を、確認して驚愕したんです。
ここまで書くんだ?って汗、滝汗。
常に誰かと喧嘩していたのは覚えています。
同級生には面と向かって喧嘩を売る、買う。
そして先生にはてってー的に歯向かう。
小さい頃はイジメっ子だったと思います。
おさななじみをいじめたり、転校生をイジメていた記憶がしっかりと残っていて。
おさななじみは保育園のシスターにめっちゃ怒られて、おさまりました。
転校生は自宅に招ばれたんです、イジメっ子グループ全員が。
小5だっかな。
男の子で一つ年上の大人しい子でしたね。
お母さんに「いじめないで仲良くしてね」とお願いされ、流石に反省しました。
家に帰って父に「自分より弱い奴をいじめるのは良くない」と叱られて、それからはイジメはやめました。
でも、問題行動は中三まで続きました。
とにかく、学校が嫌で嫌で仕方がなかったのは覚えています。
小学校では特定の先生に目をつけられて、成績もパッとせず、親戚で一番悪かったので悩んでいたら、臨時採用の先生に「あなたは中学校では絶対に成績が上がるよ」といわれ、その通りになりました。
学年主任に成績を低くつけるように言われていたのだと思います。
テストの点ではなく、授業態度をかなり、低く採点されていたはずです。
クラス全員の前で主任に対して「おっぱいの大きな子を贔屓して、ずるい」という趣旨の事を言ったので、ビンタ五回くらい張りまわされました。
流石に中学では先生に楯突くことは損だとわかり、やめました。
それより勉強が楽しかった。
定期テストの順位だけが楽しみでした。
中学に入ったら、若い先生方がなぜか話しかけて来て…、女の先生を二人くらい泣かせてしまった事もあります。
流石に男の先生は泣かずに呆れていたと思います。
何で泣いたのか、もう思い出せませんが。
名前は覚えていますね。
生物の先生と、国語の先生でした。
あの時の先生方が、私のことを万が一思い出すことがあったら、発達障害を疑って欲しいなと思っています。
うちの両親は戦前の生まれなので、先生に、何か言われたらハイと答えていたと思います。
ですが、私のことは普段から始終、超絶良い子だと公言してました。
そして、めちゃくちゃ甘かった。
私も、親に反抗する必要がなかったので、良い子でした。
これは成人しても親の認識は変わらず、兄の奥さんが私に「ねぇ?にゃんこちゃんて二人いるの?私が見ているにゃんこちゃんと、お父さん達が話してるにゃんこちゃんが余りに違って真逆なの」と言われました
。勿論、私は「おねえさんの見えている私が、本当の私」と笑って答えましたけども笑笑
私って…本当にみんなに迷惑かけて生きて来たんだなーと辛くなる事もあるけれど、ちょっとは良いところもあるんですよとお伝えしたいです笑笑
自分に甘すぎると怒られてしまうかもしれませんが、生きる事が辛い、そんな学生時代を過ごしていましたね。
子供の頃は私もそれなりに黒歴史があります。
大人になってから母親に「あのときは大変だった」と打ち明けられたこともあります。
大事にならなかったからいいものの、若気の至りのひとことでは済まされないと今なら思います。
うちは私が幼稚園年長さんの頃からずっと鍵っ子で、両親ともほとんど家にいなかったためにある意味放置っ子状態だったんですよね。
だから外弁慶というよりも内側に誰もいなくて、内で弁慶になりようがなかったんです(;’∀’)
母親に今でも言われます。あんたたちは勝手に育ったって。
誰かあの頃の私のことをもっとよく見ててほしかったし、導いて欲しかったと思います。
私も今はこうして何とか生きていますが、自分のした事が因果応報としてかえってきて、転落してそのまま…ということもあったかと思うとぞっとしますね…。
にゃんこさんには途中途中で止めてくれる方がいたんですよね。
大事だと思います、そういう存在。
外弁慶の子は親御さんが気がつかなかったとしても、誰かが声をあげてくれれば何かまた違った展開になるんでしょうけど、今の時代、それも厳しいですよね。
私は要観察人物、だったのですよね〜。
でも、今の私があるのは、小学校で出来た友達の力が大きいと思います。
数年前、五十を過ぎた時に「こんな変な私と友達になってくれて本当にありがとう」とお礼を言いました。
私によく似た性格の姪がイジメで不登校だったと知ったから。
今なら私も省かれていたでしょうね。
小、中、高とずっと友達でいてくれて。
彼女はずっと生徒会副会長で先生からの信頼も厚く、なぜ問題児の私と一緒にいてくれたのかが不思議ではあります。
部活にも塾にも誘ってくれて。
実は親からは付き合うなと言われていたんだけど、「私より成績が良いんだ」と説得してくれたと聞きました。
それは嘘で彼女より成績が良かったのは数回。
性格も良い子だったなぁとしみじみ思い出します。
老後は一緒に住もうか?なんて話もしていますが、そううまくいくかはわかりません。
私も疲れました。
今は十年後までに次男を自立させ、飛行機の距離の実家に戻る事だけが希望です。
それはとても素晴らしい出会いですね!
羨ましいです。
私は小学校時代の友達はもう年賀状でしかお付き合いはありません。
面倒見のよい優しいお友達だと思いますが、そんな彼女が老後までずっと付き合っていこうと思ったということは、にゃんこさんにもきっと自分では気づかない魅力があるんだと思いますよ(^^)
しかし我々はまずは子供をなんとか自立させないと、ですね(;’∀’)