嫌いな女が実は大人の発達障害だったとわかったら?
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例のタピオカの女の人が、最近発達検査を受けてみたら実は自分はADHDだったと公表されていましたね。
ちょっと先日書いたこちらの記事☟のことを思い出しました。
性格悪いと思っていたアレも発達障害が原因なの?
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タピオカの女の人のことは思うところはたくさんありますが、実際のところどうなんでしょうね?
障害(ADHD)がどれほどこの方の素行や性格に影響していたのかがとても気になるところです。発達障害児の親として、大変気になる点ではありますので、続報を待ちたいと思います。
しかしこのニュースを見て思ったんですよ。
もしも「ちむどんどん」のニーニーも、発達検査を受けてみたら大人の発達障害だった!的展開になったら、視聴者の皆さんはどう思うんだろうな、と。
「ちむどんどん」のことは温かい目で見守ってあげようと思っていた私も、夏休みに入ってからはドラマ自体を見逃してしまう日もでてきたりして(;’∀’)
Twitterで「#ちむどんどん反省会」のハッシュタグ記事を見ることもなくなったのですが、ニーニーは相変わらず叩かれているんでしょうかね?
私の見立てでは、やっぱりニーニーは発達障害だなと確信していたところもあり、誰か早く病院に連れていってあげてー…なんて思いながら観ていたんですけど。
もしもニーニーが「実は俺、発達障害だったんだ」と言ったならば、テレビ画面のこちら側の怒れる大多数の視聴者たちは、「あーそーなんだ」「そりゃ仕方ない」「ニーニーも苦労してたんだね」みたいな感じに見守ってくれるのかなあ。
その一方で、怒りの矛先をどこに向けていいのかわからなくなって、なんとなくモヤモヤ倍増…みたいな。
障害が原因なのはわかったけど、でもやってる事はやっぱり見ていてイライラする!となりそうじゃないですか?
実際、人に不快感を与えてしまうような言動は、発達障害の特性のせいであれば仕方がないと思わなくもないけど、それ本当に特性なの?性格悪いだけじゃないの?…なんて思ってしまうんですよね。
なんというか、なんでもかんでも障害のせいなのか?…と思うわけですよ(゚з゚)
原因が発達障害だとわかったら許せるか否か?
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発達障害のある息子を持つ私ですらこんな感覚ですよ(゚з゚)
でも、もしもですよ、かねてから「アイツだけは嫌いだわ‼」と思っていた人が大人の発達障害であることがわかったとしたら。
私はその時どんなふうに感じるんでしょうね。
そっか、それじゃあ仕方ないね。とあっさり思う事は多分無理だと思う。
でも、発達障害者にとってもっとも身近な存在である私だからこそ、見えてくるものもあるんじゃないか?とも思うんです。
案外、太郎の行動パターンと似ている部分もあったりしてね😂
もしも本人に発達障害である自覚がある場合は、「発達障害がある」と教えてもらった方が、お互いが負担にならない付き合い方を模索できるような気がします。
まあだからって何を言われても笑って許せるわけではないけど、もしかしたら本人も自分の言動の何が悪いのかわかっていないということも考えられるし、そうなればそれを伝えてあげることでずいぶん改善されることもあるんじゃなかろうか。
もっと発達障害であることを気楽にカミングアウトできるような、そんな世の中になるといいですね。
障害は個性だと言うわりには、まだまだ障害者はマイノリティ扱いですから。
そのためには、タピオカさんのような有名人がご自身の発達障害について発信していく行為については大変有意義なものだと感じています。
一方でとても影響力のある方でもあるので、世の中にたくさんいるであろう大人の発達障害者の立場を悪くするような言動は控えていただきたいな、とも。
今日、タピオカさんの名前と発達障害でGoogle検索してみたところ、同じくADHDだという方々が「一緒にされたくない」と書き込んであるのをたくさん発見しました😅😅
自分はいろいろ努力しながら、社会に溶け込む努力をしてがんばっているのに、この方がもし「これまでの素行は障害が原因。だから仕方がないでしょ?」と開き直ってしまったら。
自分も同類だと思われて、さらに生きづらくなってしまう、と。
それだけは避けたいところですね。
今後のタピオカさんの発信が、怖くもあり怖くもあり(期待感ゼロか😂)。
どうか著名人の方々は、ご自身の発言の影響力を考えてから、言葉を選んで発信していただきたいと切に願います。
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朝ドラも最近見れなくてほぼ離脱してます。ニーニーはまたいろいろあったんだ。優しさがあるからみんな嫌いになりきれないんでしょうね。何とかなるでしょう、ドラマだし。
大人になって診断受けた方は、必要ない限り他人には言わないでしょうね。言っても人が何かしてくれることも無いでしょうから。本当は会社では対応しないといけないんですが。 うちの子もちょっと…と言うところがあるから、検査をしたら診断出るかもしれませんね。ただ親から見ても私より教養あるし、優しさもあり、倹約家です。でも、なかなか一般女子とはなりにくい。年齢を重ねたら変化あるかもしれないし分かりませんが。努力で近づけるかも知れませんが、並みの努力ではないと思います。薬もあるけど、これもみんなが使えるものでもない。 ただ年をとると、それまでよりも一般化するのではないかと思います。ある意味脳が加齢で劣化すると標準に近づくような…気がします。
「僕の大好きな妻!」の最後の方の話で、職場の仲間に発達障害をカミングアウトするシーンがあったのですが、ただカミングアウトをするだけでは温かく受け入れてもらえなかったんですよね。
最終的には上司が障害の有無は関係なしに「職場の働き方改革」を提案してくれたおかげで、結果オーライとなっていましたが。
やはり発達障害に理解ある上司がいてこそのカミングアウトなんだな、と思いました。
娘さんは素敵な女性に成長されていますね(*’▽’)
きっとZ1974さんの育て方が素晴らしかったのだと思います。
本人の生きやすさは幼い頃からまわりがどれだけサポート(支援・指導を含めて)してきたかによって随分変わるのでしょうね。
コメントを読んで、発達障害のテストを受け、診断を受けたものとしては、どうして生きていけばいいのか分かりません。精神障害者には生きにくい世の中ですね。さようなら。
またしても傷つけるような発信をしてしまったのでしょうか。
ごめんなさい。
文章を書く時はなるべく誰かを傷つけることのないように気を付けているつもりですが、完璧にそれをやってしまうと当たり障りのない事しか書けなくなってしまうので、それであればブログを書く意味はもうなくなってしまいます。
私には太郎がいるし、太郎が生きやすい世の中になるために書いているつもりなのですが、そのことで傷つけてしまう人がいるのだとしたら、私も至らない人間なんだと思います。
私自身、迷いながら書いているブログではあります。
ブログは人を傷つけてでも炎上するような内容を書いた方がお金儲けができて、でも私はそういう人になりたくなくて、私のこのブログは7月度の報酬は3000円程度です。
これは多い方だと思いますか?
最近は炎上させないよう、気を使って書いているつもりで、3000円。うち1000円はレンタルサーバー代です。
読み手を不快にさせる文章を書いている方が、私の何倍、何十倍も稼いでいるのを見ると、正直私の書いている文章に何か意味があるのかなとか、はっきり言えば落ち込んでしまうこともあります。
自分が価値のない人間なのかとか。
価値のある人間になるためには努力が足りないのかなとか、泣きたい気持ちを隠してブログを書いていますが、きっと発達障害に関連する方(当事者、親御さんなど)は皆さん、私と同じように悩み苦しんでいる方がたくさんいるんだろうな、と。そんなふうに思いつつ、お金の事は考えずにブログを書き続けています。
だからすみません、私は誰も傷つかないような完璧な文章も書けないし、今すぐブログをやめることもできません。
ただ謝ることしかできません、ごめんなさい。
心が抉られました。発達障害の人はこう思われていたのかと。ドラマは見たことありません。それでは。多分最後の書き込みです。今迄ありがとうございました。
私の書いた文章はそれほどまでに酷いものだったのでしょうか?
それがわからない私も発達障害なのかもしれませんね。
もし森の中さんのほかにも、たくさんの人を傷つけてしまうのだとしたら、私はブログをやめた方がいいのかもしれませんね。
少し考えてみます。
発達障害であろうとなかろうと、迷惑は迷惑であって、被害者にとっては、加害者の診断名や健康状態がなんであれ、かかった迷惑の内容が変わるわけじゃないですもんね。
タピオカ騒動の場合、悪意がないからむしろ大問題になってしまったわけですし。
だってご当人は恐らく、義憤にかられて、良かれと思ってした行動が、世間一般的には「恫喝」だったんですよね。
障害のせいで、「適切な文章が上手く書けないのは仕方ない」ですが、だからといって汚い言葉で恫喝するのは犯罪じゃないですか。
主張が上手く書けない、内容が適切かどうか自分で判断出来ないなら、いっそ、自分一人ではメールの使用を一切しないなどの思い切った対策が必要ではないでしょうか。
そうなんですよね。迷惑は迷惑、そこに障害の有無は関係なし。
大切なのは「迷惑をかけてもいい」と思うのではなく、「迷惑をかけないようにするにはどうすればいいか」と考えることですよね。
ところがタピオカさんは早速「ADHDの人に対して”寄り添う気持ちを少しでも持ってもらえたら”と周りへの理解を求めた」そうですよ。
自分を変える気がないですよね(;’∀’)
昔からそういう人って、自然と離れていってました。
話が止まらない人、最初は楽しいですけどね、
聞いてると疲れてくる(笑)だから離れていく。
それで「発達障害だからゴメンね」でテヘペロされても
「へーそうなんだ」で終わるし、それでこっちが気を使うのもなんだし。
自分で発信する人って結局は「自己中」なんだと思う。
確かに。
私も自然と距離を置いていました。
というか、私も置かれていたのかも(;’∀’)
大丈夫か私(;’∀’)
「発達障害だからゴメンねテヘペロ」は許されないですよね、結局のところ。
「発達障害だから迷惑をかけるかもしれないけど努力するから応援してね。悪いところがあったら指摘してね」って言われたら「おう、応援するよ、がんばって!」と思えるけれども。
こんにちは
ADHDは、物凄く増えていると思います。
生きずらさを感じる人、感じない人がいるのではないでしょうか?
ちむどんどん観ていないので二ーニーさんが分からない一度観てみよう。
ちむどんどんのニーニーは明日の回でまた妹の邪魔をしてしまうようです( ;∀;)
ドラマを観ていると「悪意がなければ何をやってもいいわけではない」とシミジミ感じますね…。
障害があってもなくても、周りの人に迷惑をかけてはいけないし、自分のよくない部分は変えていかなければいけないんだと思います。
そうしないと結果、自分も幸せにはなれないかと。
発達障がいで無診断で大人になったということは、それなりの奇異な行動はあれど、どうにか大人になれたわけで、そこには、周りの人の目や助言やありとあらゆるものがあったにも関わらず、それよりも自分の主張が大事と、押し切ってしまう衝動性があったのなら、それは社会勉強が足りなかったかな?ということでは、と思いました。グレーががった私から見れば。
発達障がいをカミングアウトしてよいかということは、LGBTQを告白するのと同じ?そんな感覚になりました。それは言ってもいいけど、言わなくてはいけないことではない。自分のことだから。でも発達障がいのことをもっと広く知らせたいという気持ちはあります。
大人の発達障害はそれこそ十人十色なんだと感じます。
つい最近まで自分でも全く疑ったことがなくて、人から指摘されてようやく気付いた方。
子供の頃から自分はどこかおかしいと違和感を感じていた方。
何故か人づきあいがうまくいかないと思っていたら実は…という方。
発達障害か否かというよりは、早い段階で自分の特性を自覚し、コントロールしてきた方はことさら障害をアピールすることなく、工夫しながら生活しているんだろうな…と思います。
そもそも発達障害って診断が難しいんじゃないかとも思いますよ。
だって太郎を見ていると私にも思い当たる事がありますし。
ここからこっちの人は発達障害、とは割り切れないですよね。
でも特性がはっきりしていてそれを自己でコントロールすることが難しい人は、発達障害の診断を受け、それをカミングアウトした方が生きやすいのかとも思います。
難しい問題ですね…。
小島慶子さん、真鍋かをりさんが既に発表してますよね。
ADHDと言っても人それぞれ。
トンチンカンなら許されても、ズケズケタイプは敵を作ってしまう。
とちらも元々の性格が被害者意識の強い人だと目も当てられない事が起こるような気がします。
カミングアウトは本人のため、ではなく、それを悩んでいる人たちに向けてだと思えるものは許容されやすい。
ですが、障害なので大目に見てくださいといった感情が透けて見えると鼻白んでしまうのかもしれませんね。
子供の頃からこの業界を突っ走っている私は、外国に行けば岐路が開けるかもと思っていたのですが、外国人のママ友と接して、日本以外では生きていけないメンタルなのだと痛感しました。
陰日向をウロチョロしつつ、ひっそりと生きていきます。
って、たまにいきなりど真ん中に居たりするのが
ADHD
わりと常識的な方々が公表されてもあまりニュースにならないですよね(;’∀’)
被害者意識の強い人に「障害のせいだからみんなが私に合わせなさいよ!」という感じでやられてしまうとウンザリしてしまいますよね…。
”障害”を振りかざして言われてしまうと、それまで叩いていた人も叩けなくなってしまいますからね。
障害が伝家の宝刀状態になって、ますます嫌悪感がつのる気がします。
にゃんこさんは相手が絶対に傷つかないように言葉を丁寧に選んで書いている気がしますし、私はこれまで業界のド真ん中にいる方だなんて夢にも思わなかったですよ(笑)
本当にそうなんですか?と今でも半信半疑です。
にゃんこさんがそうなら私もそうなんじゃないかな(;’∀’)
文章は推敲に推敲を重ねることが出来るし、装う事ができますよね
方言で育った私は、東京弁で話すと性格が変わります笑笑
また、文語体になると、また性格が変わるような、かなり慎重になります。
やはり、文字、文章のインパクトは大きく印象付けるし、真実味も増すように感じているので読み手との齟齬のないように気を使いますね。
ですが、リアルでは素の私が前面に出てしまう。
それから、関係性によっては甘えも出たり。
リアルではハッキリとモノを言うのと、偽悪的になってしまい、ドン引かれやすいタイプです笑笑
そして、嫌いなタイプの方が弱いモノいじめをしているのが分かると徹底抗戦してしまう、これ、性格なのか特性なのか。
執着して離れられない特性の変化球バージョンだな、と思っているのですが
優しい人ばかりの中だと、私も穏やかになれます
確かに。文章は推敲することができるけど、言葉はいったん発してしまうと取り返しがつかないですよね。
私もそれで何度も失敗してきました。はい、ズケズケはっきりものを言うタイプでした(笑)
私は太郎が生まれたことで、そんな自分を変えることができたと思っています。
まさに「人の振り見て我が振り直せ」状態で、太郎を通して自分自身の問題行動について気づかされたとでもいいますか。
「障害児育児は辛いことばかり」だと思っていましたが、思わぬ副産物もあるな…と感じています。
そうなんです。
私、思い上がりの激しい性格で自分でも嫌になる程のイケスカナイ女だったのですが、次男が産まれて、大人しくなりました。
他者に寛容になることも学びました。
たまに、まだ素の自分が出ることもありますが、独身で働いていた頃とは違って来ています。
出来ない事はやる気のなさ、努力不足と切って捨てていた私。
かなり反省しました。
色んな事から学び、出来ますよね。
うわあ、なんか既視感です(笑)
私も本当に自分でも嫌になるほどのイケスカナイ女でした!
うちは私と父(太郎の祖父)は本当に性格が真逆になったと感じます。
太郎が生まれていなかったら、今頃私は高慢ちきな女だったのかな。
多分夫とは離婚していただろうな(笑)