アタリの先生、ハズレの先生。
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長男・太郎が自閉症だと診断されたのは2歳の頃。
幼稚園こそは普通の子たちと混ざって過ごしていましたが、小学校からは特別支援教育を受けつつ、現在(高校1年生)に至ります🖐
その間いろんな先生にお世話になりました。
小学校6年間、中学校3年間、高校1年間。
10年間なので10名の先生にお世話になった計算になりますが、実際は持ちあがりで同じ先生が担任になることもありました。
いろんな先生がいました。
男の先生、女の先生。
厳しい先生、優しい先生。
どの先生も素晴らしく、太郎はいい先生に当たったな、アタリの先生ばかりだな、と私は思っていました。
でも。
いい先生ばかりに当たる太郎は幸運な子供なんでしょうか?
常に先生の悪口を言う同級生ママ
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一方で、太郎の同級生のママの中に、常に担任の先生の悪口を言っている方がいます😅
あの先生最悪!ハズレだわ~😩
って、かれこれ10年間も言い続けています😅
かたや私は10年間のなかで、アタリじゃないと思った先生はたった1人だけ。
それもアタリじゃない、と思うもののハズレとまでは思わない。
他の先生に比べると、ちょっと物足りないかな?という程度であり、ハズレと言うほどどこか悪い点があるわけでもないんです。
つまり私はほぼアタリばかりであり、同級生ママはずっとハズレばかりであり。
( ゚д゚)・・・。
って、
そんなことがあり得るんでしょうか?
10年間連続で”ハズレ先生”に当たる確率は?
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確率統計。
懐かしいなぁ。
ウン十年前、高校生のときに習った記憶がうっすらあります😅
確率統計について調べていたら、こういう記事を見つけました☟
例えば、サイコロを振ると以下の 6 つの事象のうちいずれか 1 つが起こります。
- 1 の目が出る
- 2 の目が出る
- 3 の目が出る
- 4 の目が出る
- 5 の目が出る
- 6 の目が出る
さらに、これらが起こる確率は(通常のサイコロであれば)等しく、各々 1/6 です。
しかし、飛行機で事故に遭ったことのある人はそういないはずです。
- 飛行機が落ちる
- 飛行機が落ちない
の 2 通りある訳ですが、飛行機が落ちる確率は絶対に 1/2 ではありません。
飛行機の話と同じで、
- 3 の倍数になる
- 3 の倍数にならない
という 2 つのケースがあるから 1/2 、という考え方はNGです。
解答
さいころを振ったときに起こる事象は以下の 6 通りで、これらは同様に確からしい。
- 1 の目が出る
- 2 の目が出る
- 3 の目が出る
- 4 の目が出る
- 5 の目が出る
- 6 の目が出る
出た目が3 の倍数となるのは「3」「6」の 2 通りであるため、求める確率は
つまりサイコロを振って3の倍数が出る確率は3分の1。
ごくたまに「飛行機は落ちるのが怖いから乗らない」なんていう人がいますが、実際には飛行機が墜落するよりも道端を歩いていて車にはねられる確率の方がはるかに高いわけで😅
そう考えると、ハズレの先生ばかり10年続く確率はすべての目が平等に出るサイコロよりも考え方的に言えば飛行機が墜落する確率寄りなのかもしれません😅
(サイコロ寄りであれば10回先生が変われば5回はアタリの先生になるはず)
しかし
根本的な違いがあるんですよね。
サイコロの目が出る、飛行機が墜落するということはいずれも主観抜きの事実でありますが、先生のアタリハズレに関しては「アタリだと思う」「ハズレだと思う」ということがそれを受け止める人の主観に過ぎないということです🖐
つまり
ある先生はAさんからすると「アタリ」でも、Bさんからすると「ハズレ」というケースが生じるということなんですよね。
実際、同級生ママの子供とうちの太郎は滅多に担任の先生が同じになることはなかったのですが、1度だけ同じになったことがあり。
私はその先生をアタリだと思っていましたが、彼女はハズレだと思っていたようです😅
同じ先生なのにアタリ・ハズレの評価が分かれる理由
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同じ先生なのにアタリ・ハズレの評価が分かれる理由の一つとして、
先生が生徒によって態度を変えている=えこひいきしている
ということも考えられます。
多少はそういうこともあるかもしれませんね。
先生だって人間だもの。byみつを
確かにうちの太郎は先生によく面倒を見てもらっているな、と感じることは多々あります。
けどそれは、母の私も意識的に先生に接していることも関連しているかと思います。
私は太郎を可愛がってほしいがゆえに、どの先生にも感謝の気持ちを伝えつつ誠心誠意、対応しているからです🖐
知的障害のある息子自身はどの先生に対しても問題行動を起こし、迷惑をかけてしまっていたので😂
それもあって、できるだけ先生とは密にコミュニケーションをとってきました。どの先生にも、です。
結果、学校で先生がどんな風に太郎に対応してもらっているかを詳細に知ることができ、先生の接し方に関して不信感を抱くことがなく、それゆえにアタリだと感じていたのかもしれません。
一方、ハズレばかり引いている言っている彼女は、あきらかにコミュニケーション不足だと思います。
基本的に学校でのことは先生にお任せで、積極的に学校関連のことに関わってくるタイプではありません。
私が見る限り、彼女のお子さんも先生からじゅうぶん可愛がられている様子ではありますが、とにかく先生と彼女がうまくコミュニケーションがとれていないようで、思惑の違いというか、気持ちの行き違いというか、そういうことからハズレという感情に発展していっている気がします。
あとは単純に要求が高いタイプなのかな、彼女は😅
先生は福祉のプロだからできて当たり前、これくらいやってくれて当たり前、という気持ちが根底にあるようです。
ハードルが高いと、なかなか満足することもできないだろうな、と。彼女を見ていて思います😌
先生はプロかもしれないけど一人の人間でもある。
一方的に求めてばかりいては上手くいくはずがないと私は思います。
とはいえ、先生としての資質うんぬん以前に「人としてどうよ?」と思う先生もいますけどね😅
うちも担任ではありませんが、そういう先生に当たったことが1度だけあります。
でもその先生は保護者からの評判が真っ二つに分かれているタイプ。
「すごくいい先生」という保護者と「絶対当たりたくない」という保護者と両極端に意見が分かれています。
そう考えると他の人から聞いた先生の評価(アタリ・ハズレ)ほど信用できない物はないな、と思いますね。
ここからは追記となりますが。
うちはたまたま10人が10人「ハズレ」だと思う先生に当たったことがないんですが、学校によってはそういう先生ばかりだということもあるのかもしれませんね。
特に支援学級は特別支援学校教諭免許を持っていない先生の割合が7割とも言われているそうなので(特別支援学校でも3割が持っていないそうです😱)
発達障害児に必要な支援教育がまったく提供できない学校もあるのかもしれませんね…。
そういう意味では私は恵まれているのかもしれません。
〇追記をした理由〇
見直してみると記事の書き方が偏っていたと自分でも感じ、文章に一部訂正を入れ、追記をさせていただきました。
実際にハズレばかりの先生しかいない学校、ハズレの先生の割合が多い学校もありますよね。
誰が見ても「ハズレ」ばかりの学校もあり、苦労されている親御さんに対して配慮のない内容の記事になっていました。
私の記事を読んで悲しい思いをされた方がいらっしゃったとしたらすみません。
うちはなんだかんだ「アタリ」の先生が多かったのかな?とも思いました。
上記の観点で、加筆・修正させていただきましたm(__)m
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遅くにすいません
書いても書いてもまとまらず(笑)
個人的には、アタリ3人(幼1、小1、中1)まぁ・・・親的になので、息子的には大ハズレしか記憶に残ってないと思います。
保育園の先生は本人はもう忘れてると思うのですが
息子をいじめていた 赤フレームメガネのK子先生
夢にまで見て、「K子先生が怒るーーー」と泣いて起きる日がよくありました
後に園長先生から指導が行き過ぎたと謝罪がありました ←ワタシが訴えたわけではありません
(主任先生があまりのことに指導したが従わず園長先生の指導でやっときいたらしい。それも 男のコはこうあるべきというK子思い込みの指導 )
保育園は 義実家の近くなのですが、怖くて引越してからもしばらくは 泣きそうになり、近寄れないほどでした ←本人はもう忘れてるみたいです
息子が覚えてるのが
小2の担任が 夏休み明けに突如、退職したこと(臨時の先生が2学期から来て下さいました)
まぁ・・・1学期の途中から休みがちで、月曜日はほぼ休みだったので、途中から常時月曜日は臨時の先生を依頼する事態だったようです(息子的には、色んな先生が来てくれるのが楽しかったようで (^^;) ←他のクラスのママさんから「大丈夫?」って教えて貰いました 大恥かきました)
親的なハズレ:
幼稚園年長ベテラン主任先生:自分に酔うタイプで・・・全然、子どもは見てない
この先生は、上っ面感が保護者に伝わってて
この期の幼稚園の保護者・・・「はよ卒園したい」 とまで言い出す人までいました(園長もダメだった)
小4の先生はベテラン男性教師で、あまり保護者と関わりたくない感があったんですが、まなびの支援センター(学習に困難がある子どもの学びを支援するために先生にアドバイスをしてくれる場所)の先生のアドバイスで担任と蜜にコミュニケーションを取るように言われてたんですよねぇ・・・ でも、暗に拒否されるんですよ・・・
その空気を感じてたので、特別支援コーディネーターの先生と面談したいと持ちかけたら「特支Co.なんて名ばかり!」と言い放たれまして「・・・」となりました。そう、彼は時間を取られることを嫌うタイプ
友達とのトラブルも先生的には解決という報告だったんですが、息子は納得いかない様子でした
小5も ベテランぽい女性教師。 いい先生だよと聞いてたんですけど(それはあなたにとってでしょ!と思いつつ聞いてた) 1学期は息子の良いところもいっぱい見てくれて「確かに」と思ってたんですが・・・
2学期・・・12月初旬の個別懇談では「頑張ってます」と特に問題ないです的な話で終わったんですが、終業式(12/25クリスマス)・・・たまたまインフルで休んで、私が荷物を取りに行ったら、職員室前の立ち話で あれもこれも出来ない! だから支援級に行け」というようなことを突然言い放ったんです!!!!!
いや、裁縫とか絶対苦手やん? せめて失敗したところほどくくらい家でやって来るように指導してくれてもよくない?
それに 2週間ほど前には頑張ってるって言ってたよね? もう大混乱しました
このクリスマスは一生忘れません!!
あちこちに相談して・・・ 冷静なDr.が「たまたまお母さんがその日に行ったんだよねぇ・・・お母さんが行かなかったら、その先生、その話いつするつもりやったんかな~?」と呟いたんです 確かに!!
最終的にはその話はスルーしてやりました(!) 多分、合理的配慮が施行される時だったんで、そういうのもあったのかも・・・ 重要な話は場を設ける必要があると思います 立ち話はない!!
この先生方って・・・多分、先生としてアタリハズレというより人としてダメな先生だったと思っています
長文お疲れ様です(笑)
なんともドラマチックというか、描写がリアルで怒りが伝わってきました。
人としてどうなの?という方、いますねぇ…。
それにしても自分に酔うタイプの方、どこにでもいますね’`,、(‘∀`) ‘`,、
うちは太郎のところにも次郎のところにもいました(苦笑)
担任ではなく、校長クラスだったのでスルー案件でしたが(笑)
あと、親的ハズレでも子供は案外馴染んでいたり、いろいろですね。
ただ、特別支援教育の平準化はもっと国をあげて取り組んでほしいところではありますね、特に支援学級は。
なかなか難しいのでしょうけれども。
おはようございます。
お気遣いありがとうございました。
早速の追記のご対応恐れ入ります。
この事を早くにコメントすべきでした。
大丈夫です、私は悲しくありません
色んな考え方があり、色んな意見がある。
人それぞれ。
私は先生方に間違った対応をした事も沢山あります。
要望しすぎて辟易とさせてしまった事も。
そして、コメント欄には書けない学校側の切ない事情もあったのも事実です。
そこは大人同士、それぞれが相手を思いやって悪く取るのではなく察するのが一般的だと思っています。
個人の自由なブログなのに気遣いさせてしまい申し訳ありません。
さなさんの温かい思い遣りがありがたく、感謝感謝です
いえいえ、にゃんこさんにコメントいただいて本当に助かったというか、嬉しかったです(*^-^*)
私も障害児は太郎しか育てたことがないので、うちとは全く違う環境の方からコメントをいただくことで初めて気づくことがあります。
今回にゃんこさんのコメントを読んで、自分の無知ぶりを恥じました。
そしてあらためて読み返してみると、なんと無神経なことを書いているのだと愕然としました。
にゃんこさんがコメントしてくださらなければ、私はそういう観点で見直すこともなく、「違うんだよ、そんな恵まれた学校ばかりじゃないよ」と悲しく思う人がいることにも気づけずにいたかと思います。
また、コメント欄には書けない切ない事情についても教えていただきありがとうございます。
私一人で見聞きし、体験できることには限度があるので、こうした話を伺えるのは本当に貴重だと感じます。
あらためて感謝です(*^-^*)
幸せは自分の心が決めるbyみつを
人にあれこれを求めてしまう人は、それで飽き足ることがなく、自分の思い通りに物事が進まないといけないと思う。それはそれで苦しいところに自分を追い込んでいる気がします。大変ですね。それを周りの人に享受しなければならないし。そういうのは、疲れます。
みつをはいいこと言いますね(*^-^*)
幸せと感じるかどうかは自分次第ですものね。
先日母と電話で話していた際に、母の妹が不幸体質というか、物事すべてを悪くとらえてしまうタイプで、何か悪いことがあると「厄払いしないと」と大騒ぎ(;’∀’)
その理論でいくと、障害児を産んだ私は不幸なの?と。
人生はやり直しはできないからこそ、私は自分の人生を幸せだと思えるように、ポジティブに生きていきたいと思います。
こんにちは、アメブロ時代から続けて読ませてもらっています。
私もサナさんタイプかな、ハズレと思ったことはありません。
まだ上の子が小4なので先は長いですが…。
主観わかります。コミュニケーション大事ですよね。
そしてやはり関われば関わるほどよく見てくれるような気がします。
あと私は、自分も含めて完璧な人なんていないっていう思いこみが強いようです。
期待していないわけではなくです。
でも、とんでもない先生がいる話はよく聞くので毎年新学期はビクビクします。
どっちなんだかですね。
サナさんの考える種をまいてくれるような記事、いつも楽しみにしています。
コモノさん、アメブロ時代からご覧いただきありがとうございます(*^-^*)
私もハズレの先生なんていないんじゃないの~なんて思っていたんですが、いました、いました(;’∀’)
担任にはなっていないのでセーフでしたが、担任だったらちょっと(いやかなり)嫌かな・・・とは思いましたね。
新学期はドキドキしますよね(;’∀’)
コミュニケーションは大事ですね。
特に感謝の言葉は意識して伝えるようにしています(^^)
いつも楽しく読ませていただいています。
うちは外れ多かった(四名)ですね。
色んな方に相談し、校長先生に直訴した事もあります。
でも、今思えばその時はかなり感情的になっていました。
一人目は一年生の時の交流級担任。
「お母さん、◯◯君が漢字を書かないんです。
どうしましょうか?」
と言われて真底驚きました。
私はそういう事も含めて学校、又は先生が指導してくださるものだと思っていましたので。
そこで私が帰宅後二週間ほど漢字を書かせてみたら、ちゃんとやってくれて一年生の分は全部書けるようになりました。
何をやったかと言えば、マスを規定のものより大きなものを使っただけ。
四マス使ってお手本を赤で書いて、三文字なぞらせて、次はフリーで書かせて、のような感じでやりました。
三学期が終わる時に先生が感激して電話を下さいました。
「お母さん!◯◯くん、頑張りましたね✨」
私も「ありがとうございます。」と答えましたが。
心の中では「お前も頑張れよ」毒づいてました。
二年目の交流級の担任は学級崩壊のプロでした。
二年連続で学級崩壊した後退職されました。
その時に驚いたのは宿題を出して、やったかどうかを確認していなかった事。
子供も宿題があるのかすら理解していない状態だと言うことが懇談会での議題になるほど。
教室はずっとざわざわしており、先生が教卓にいる事は少なかったようですね。
ずっと子供達の席の周りで個別に?指導されていたようです。
うちは一年生から支援級で、二年まではほぼ交流級で過ごしていたと聞いています。
二年の時の支援級担任が、最大級の大外れ。
面談時や毎朝学校に付き添っての登校時に色んな話をしてきましたが、継続した取り組みがなかったこと。
毎日、ただただその場凌ぎの付き添いで終わったことが不満の殆どです。
私と一緒に二週間で300文字を覚えた子供が、学校では何も成果を出せなくて悲しくなりました。
算数の計算は私が補助シートを作り、持たせて掛け算割り算覚えました。
漢字も書かせる文字を三回と決めて、家庭学習させて覚えて。
でも、それだけ。
私がやらせた事はできるけれど、1日ほとんどを過ごす学校での勉強は身に付かず。
春夏秋冬、季節も時間もぼんやりとしか理解できず、これ又、家庭でおさらいして。
四年生になって、先生が変わった途端、誰もが驚くほど成長しました。
二年、三年の支援級担任は、三年の終わりに校長先生に掛け合って四年生ではお断りしますとお願いしました。
その後は普通の先生と素敵な先生に会えました。
小学校を卒業したくないほどに。
中学ではまたあり得ないほどひどい先生に当たって。
期待する私がいけないのだとも思いますが、やはり、ハズレな方はいらっしゃるというのが実感です。
長くなり失礼しました。
あっ、子供はどの先生にも優しく温かく迎えられて楽しく過ごしていました。
それには感謝していますし、きちんとお礼もしてきました。
やはり、私の要望が多かったと思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも六年間もの長い期間をただただ楽しく過ごすだけで終わらせることが出来なかったのです。
高三の今、やはり頑張ってよかったと実感しています。
それはちょっとお気の毒なほどのハズレっぷりですね(;’∀’)
支援級は学校によってはとんでもない先生がいるとは聞いていましたが、確かに「お前が頑張れよ」と言いたくなりますね。
アタリハズレというよりは、学校の支援級の先生の選定に疑問を感じますね。
そこまでご家庭におんぶで抱っこの状態で支援級と名乗るのはいかがなものかと腹立たしくなりますね!
うちは支援学校なのでさすがにそのレベルの先生に当たったことはないのですが、支援級はどこもそんな感じなのでしょうか。
期待したくなる気持ちもわかりますし、その状況ではハズレだと思う気持ちは当然だと思います。
今読み返してみると私の記事はハズレは気の持ちよう、みたいに書ききってしまった面もありますよね。
にゃんこさんも悲しい気持ちにさせてしまったかと思います。ごめんなさい。
にゃんこさんはお子さんにも学校にも真摯に向き合っていますし、その状況で学校に要望を出さずに我慢する必要はないと思います!
要望が多いとは全く思いません。
それにそんな状況でもきちんと御礼もされるその姿勢に感服しました。
後ほど少し文章の見直しをしようかと思います。
コメントありがとうございます!いろいろ勉強になります!
お返事ありがとうございます。
久々に小学校時代の話で、読んでいただいて、お返事までもらえてスッとしました。
少し端折った表現もありますが、決して大袈裟ではなく、遠慮して書いてます笑笑
一番驚いたのは(驚いてばかりですが)ハズレのどの先生にも私の手持ちの発達障害児についての本を貸したことです。皆さん読んだ事が無かったのです(涙)
それでもコーディネーター?の先生や専門的な知識をと支援校に転換して戻られた先生もいらっしゃって、ありがたい事もありました。
養護学校(という呼び方でした)には学科の関係と定員オーバーで入れず、支援級しか選択肢はない状態で、コレ。高校で養護に入れた時は本当に嬉しく、しかも、期待した通りの手厚さ。
子供の困り感や状況を説明する必要がなく、迷惑をかけても先生からの報告だけで、こちらが動く必要が無かったのも嬉しい驚きでした。
毎日の連絡欄には「いつもありがとうございます」しか書く必要がないという奇跡。
私は幸運にも小四から県の教育相談センターに繋いでもらって、手帳取得の時期や進路の相談、学校の不満などを月イチで相談できていたのが本当に救いでした。
それがなかったら、子供も私も今どうなっているか分かりません。
小学校一年から三年の間は、それ程途方に暮れる毎日でしたね。
中学で担当してくれた先生は、子供に必要な持ち物を支持することすら出来ない先生で、私は教頭、主任、交流級担任、支援級担任と校長室で面談する羽目に。
子供が何を持っていったらいいか分からないと言うのです。
それで、6月に面談を申し込んで。
二ヶ月間は授業中何をしていたんでしょうね。
もうね、別件ですが腹が立って怒鳴りつけた事もあります。
先生はぽかーんとされていましたっけ。
何かを要望するとクレーマー扱いされがちなので、黙って放置の方が多い地域性。
子供たちはどうせ支援校に進むのだからとほったらかしなのが見え見えの中学校でしたよ。
県では一、二位を争う偏差値の高い公立でしたので、それがよく無かったのでしょうね。
にゃんこさん、またまたありがとうございます!
遠慮して書かれていたんですね(笑)
いただいたコメントすべて読ませていただきましたが、想像以上の劣悪な環境に言葉もありません…!
特に中学校はひどすぎます( ;∀;)
思えばうちも、前に住んでいた地域が定員の都合上、愛の手帳(療育手帳)の度数が1・2度の子しか養護学校には入れず、知的障害がやや重めの3度の子は支援級判定でしたよ。
うちは幼稚園の頃は4度、小学校の頃は3度と、IQが高めに出てしまっていたので、養護学校にお子さんが通われているママから、「太郎くんは養護学校は無理だと思うよ」と言われ、それもあって引っ越しすることにしたんですよね。
養護学校は本当に手厚いですよね。
にゃんこさんのお話を伺って、うちがあのまま引っ越さずに地域の支援級に入ったらどうなっていただろうと恐ろしく感じました。
要望するとクレーマー扱いにされるというのも恐ろしいです。
要望とクレームの区別もつかないとは…。
小学校、中学校の9年間、まさに戦いの毎日だったんですね。
こういうお話はもっと共有されるべきだと思いました。
うんうんと頷きながら読みました
私はさなさんタイプで、兄弟どの先生も外れたなと思うことは無かったです
(子供は外れた!!の年もあったようですが 笑)
そして私の友達にも先生への要求が高くいつも文句を言っている子がいます
また、下の子についてくれた加配の先生の事をその前の年に見てもらっていた子のお母さんから『あの人ちょっとうちとは合わなくて…』と言われていたので身構えていたのですが、ただ真面目てちょっと圧の強い人だっただけとか
相性もあるので何とも言えませんが、受け取り方で違ったりはおおいにあると思います
うちも子供がアタリ・ハズレと思う基準と私がアタリ・ハズレと思う基準が違うみたいです’`,、(‘∀`) ‘`,、
相性もありますよね。
うちとはなんとなく合わないな~と思う先生(担任ではない)が、他の親子とはすごくウマが合っていたり。
なんだかんだ運が良かったんですかね、私は。
とりあえずどんな先生であっても、こちらから先生を選ぶことはできないですからね…。
何事も気の持ちようということで割り切るところは割り切っています。