うちの子は軽度知的障害児の承認欲求を満たすために存在しているわけじゃない

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過激なタイトルですみません(;’∀’)

最初にお断りしておきますが、今日の内容はひょっとして軽度知的障害のお子さんをもつ親御さんが読むと、ちょっとムッとしてしまうことが書かれてあるかもしれません。そうじゃない、と反論したい点もあるかと思いますがご容赦ください。

今日この記事を書こうと思ったきっかけとなった記事がこちら↓

「助けられなくてごめん」障害者が障害者をいじめる〝暴力の本質〟 (withnews.jp)

軽度の障害児が自分より弱い障害児に暴力をふるうという話でした。

ただしこの記事の中に出てくる「軽度障害児」とは一時的に体に障害を負い、のちにほぼ健常に戻ることが予想される「一時的な障害児」です。また、軽度の障害とは知的障害のことではなく、身体障害です。

そしてこれは記事を書いた記者自身が養護学校に通っていた時代のことなので、かなり昔の話であり、小山田圭吾氏の事件と同様、現在の特別支援教育の中ではありえない(あってはならない)ことなのかもしれませんが…。

私はこの記事を読んで、暴力やいじめとは違うものの、障害児の世界にもヒエラルキーはあるよな、と思ったんです。

それは実際、私が自閉症の長男・太郎をめぐる事で常々思っていたことではありました。

 

軽度知的障害児の自己肯定感と承認欲求

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世間的には何でか「障害児=ピュア」というイメージがありますよね。

でも私は実際に障害のある子を育ててみて思うのは、

んなこたーない😲

ってこと。

うちの太郎は自閉症かつ重度知的障害があり、言語発達遅滞もあり、精神年齢は4歳児程度ですが、4歳児だからピュアってことはないんです(゚з゚)

障害があったってなかったって、その子の性格っていうものはあるし、生活していくうえで障害のある息子が感じることは意外と普通なんですよね。

健常の弟に対して事あるごとに「アイツだけずるい、優遇されている」と思うようで、弟が何もしていない時に意地悪をすることもあるんですよね。

こっちは「障害があるからできない、仕方がない」と思ってやらせていないことも、太郎からしてみると「ずるい」「自分だけ」と思うわけです。

知能が低いからそういうブラックな感情を抱かないかというと、そんなわけないんですよね😅

そこは健常の子となんら変わりがないんです。

けど、障害があると実際、他者による配慮がないとできない事も多いし、できないからとハナからやらせてもらえない事もあり、また、仮にやれたとしても失敗してしまう事もたくさんあり、どうしても自己肯定感が低くなってしまいがちです。

特に知的障害の軽い子は、一見障害が軽度で言語コミュニケーション能力的にも大きな問題がないため、周囲が障害を十分に理解できず、必要以上に水準の高い要求をしてしまうケースが多々あります。

例えば本来は何らかの支援が必要であり、支援学級が望ましい子でも、言語面やコミュニケーション的に問題がないため、親の意向で普通級に入れられてしまった場合。

もちろんそれが上手くいくケースもあるけれども、学習面でついていけず、テストはいつも赤点、周りの子に比べて「できない」と思うことばかりで、「自分はダメな子」だと自信喪失してしまう…。

知的障害の重い子であれば、生理的欲求(美味しい物を食べる等)が満たされていればある程度は満足できるけれども、知的障害の軽い子は生理的欲求だけでは満たされず、「自分を認めてほしい」という承認欲求がより強くみられるかと思うのです。

 

承認欲求とは

人間は他者を認識する能力を身につけ、社会生活を営んでいくうちに、「誰かから認められたい」という感情を抱くようになる場合が多い。この感情の総称を承認欲求と呼ぶ。承認欲求は努力へのモチベーションになるが、強すぎると金銭・地位ばかりを追いかけて幸せになれない。また詐欺師・ヒモ男などは、相手の承認欲求を悪用しているとも言える。

承認欲求 – Wikipediaより引用

ヒモ男って🤣

なるほど、確かに詐欺師やヒモ男は承認欲求を悪用しているんでしょうね😅

 

承認欲求というものは障害の有る無しに関係なく、誰もが持っている感情ですよね。

私自身も承認欲求が強いからこそ、ブログを書いて発信し続けているのだと思っています✋

 

障害児の世界にもヒエラルキーはある

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で、話をもとに戻しますが、障害児の世界にもヒエラルキーってあると思うんですよね。

ヒエラルキー(階層・階級制度)というとわかりづらいですかね。

学校でのヒエラルキーは、最近ではスクールカーストとも言われています。

障害児の世界はスクールカーストととはちょっと違うものの、障害の度合い(主に知的障害の重さ)によって、自然と優劣が出てしまっているのかと思うんです。

それは自然発生的というか、仕方がないことなのかな、とも思うんですよね。

うちの太郎は重度知的障害(IQ30)があり、言語発達遅滞もあるため、同級生たちと会話をすることはできません。

それゆえ、いわゆる「友達」というものができたことがありません。

同じ学校には太郎のような子はたくさんいます。一方で、小学校や中学校では支援級や普通級に在籍していた子が特別支援学校に入学してくるケースもあり、学習面以外は健常の子と何ら変わりなく学校生活を送れている、という子もいるのです。

以下の記事は障害児のヒエラルキーについて述べられていたものではありませんが、記事の一部に今回私が言いたいと思っていたことと同じことが触れられていたので紹介しますね✋

 

なお中学校では、小学校まで普通学級にいた子どもたちが特別支援学級に入ってきたため、知的障害が軽度の子の割合が増えたといいます。

「そういう軽度の子は、(普通学級での)いじめられっ子から急に(支援級での)優等生になって、自分より障害が重い子をいじめちゃう、ということもありました。軽度というか、境界に近づくほど知恵がついて、人に意地悪をすることも考えるようになるので。

知的障害が軽い子は、自分より重い子のことを手伝って、全部やってあげちゃったりして。そういう差も感じていました。頃合いを見て『本人にできることは、本人にさせたほうがいいよ』と言えば、直る子は直るし、ふてくされる子はふてくされるし」

「特別支援学級」で育った子の知られざる本音 | おとなたちには、わからない | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)より転載

 

これは中学の支援学級の話なのですが、支援学校でも実際に軽度の子が重度の子をいじめるまではしなくとも、からかったり、無視したり、キツい態度をとったり、というのは私の周りでも耳にすることはありました。

でもそれほど多いケースではないように思います。

どちらかというと後半に書いている「知的障害が軽い子は、自分より重い子のことを手伝って、全部やってあげちゃったりして」という、これです。

これは結構多いんですよね。うちの太郎も軽度のお世話焼きの子から何度となく手伝われてきました😅

だいたいそういう子は以前は普通級や支援級にいて、中学や高校から支援学校に入ってきた、という子なんです。

小学校から一緒だった子にそういう子はあまりいないんですよね。

彼女ら(主に女子に多いんです😅)はきっと、それまではどちらかというとお世話される側、お荷物扱いだった側にいて、自己肯定感がダダ下がりしていたと思うんです。

それが、今は自分はいきなり優等生になり(支援学校のカリキュラムは概ね難なくやれるため)、周りを見れば自分よりはるかにできない子がたくさんいる。

そしてそういう子を手伝い、お世話してあげることで「できない子の世話をしてあげる自分」を誇りに思う、それに対して「すごいね」「えらいね」と言われる。

つまりお世話することで承認欲求が満たされるわけです。

先生の手が足りないときに、軽度の子が重度の子のお世話をする。

軽度の子は承認欲求が満たされる。

先生も助かる。

win-winじゃね?

なにが悪い事でも?

と思いますよね?

 

でも、じゃあ、される側の子の気持ちは?

重度の子はどう思っているの?

 

え?手伝ってもらってラッキー!楽できてラッキー!と違うの?

違います😂

今日、この記事を書いたのはこれが言いたかった!

これが言いたかったから書いたのです、記事を。

 

もしかしたら一部「ラッキー」と思っている子もいるかもしれない。

でも。

軽度の子に、まるで人形のようにあれこれお世話されるのを嬉しく思っている子は、少なくとも私の周りでは一人もいない。

むしろ関わられることが嫌で、あれこれ口出しされることが嫌でたまらないんです。

 

重度だからそういう感情はないと思っているのかもしれないけど、太郎にもプライドがあるんですよね。

同級生に赤ちゃんのように扱われることは気分がよろしくない。

それに時間がかかるかもしれないけど、自分ができることは自分でやりたい。

先生じゃなく、クラスメイトにあれこれ指示されたくない。

触られたくない。

 

できない事はクラスメイトからではなく、先生に教えてもらいたいんですよね…。

というか、本当にできない事のサポートをしてくれるのであればまだしも、本来自分でできることでも何でもかんでもお世話を焼きたがったり、先生のかわりにあれこれ注意をしてくる子が、どこにいっても一定数いるんですよね…。

 

こういうのを書くと、「だってあなたの子ができないんだからお世話しているのに。何様?」と思われるかも…と思うと怖くて書けなかったんですが😅

もしかして「うちの子は重度の子のお世話もしてあげる優しい子」「お世話してあげれば相手の子もきっと喜ぶ」という方がいらっしゃったとしたらですね。

相手の子は喜んでいる子ばかりじゃない

ということをご理解いただけると嬉しいです😂

そして、まさかとは思いますが、学校の先生で、生徒に生徒をお世話するように指示されている方がいたらですね、それも、世話される側の子は喜んでいるわけではない、苦痛に思っている子もいる、ということを頭の片隅に入れていただけますと幸いです😅

 

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うちの子は軽度知的障害児の承認欲求を満たすために存在しているわけじゃない” に対して6件のコメントがあります。

  1. ひろはま より:

    こんにちは
    今、福祉関係で働いていて、どうしたものか・・・と対応をいろいろ考えていたところ、このブログに出会いました。過去の記事ですが、どうしてもお話したくて。

    よくぞ書いてくださいました、と思っております。
    私の立場とすると、お世話したがりの知的障がいの人が、あれやこれやと何かと特定の障がいのある人のお世話をしてしまい困っています。
    当人へは、「〇〇さんは自分でできるから」「自分でできる方がうれしいから、手伝わないでほしい」「もし〇〇さんが困ってたらスタッフに言ってくれるから大丈夫」など、様々に声をかけるのですが・・・うまくいきません。
    当人は“手伝ってあげてる!””助けてあげてる”“その時(=その瞬間にスタッフが)いなかったから””困ってたから”などと言い頑固です。そして、「いちいち、うるさい!」「困ってるの気づかないの?」「スタッフの仕事だろ」などに発展する場合もあります。

    ほめる、理由を説明して納得してもらう、その人の役割をつくる といったノウハウはよく話を聞く機会がありますが、こういう本来良いことでも度を過ぎると迷惑になったり、人の役割や能力を奪うようなことに対しては、なかなか対処方法が見つからず、悩んでいます。

    周りの支援者とも協議し、その人その人での役割をつくって、その仕事をした時は、ほめたり、自己肯定感を高めるような声かけを、他の人みんなに始めました。
    ですが、他の人の仕事を評価したり、チェックしたりしています。自分はきちんとやっているけど、他の人はちゃんとしていないという主張をしては、言いつけにくるなど新たな火種ができてしまっています。。。

    なかなか大変といってしまえば、支援者としては良くないのでしょうけれど、ちょっと疲れてしまいますね。
    そういうなかで、このブログを見させていただき、「そう、そう!」と共感できたことをとてもうれしく思いました。乱筆乱文ほんとにごめんなさい。ありがとうございました。

    1. 稲倉サナ より:

      コメントありがとうございます(*’▽’)
      そして支援者の視点での貴重なご意見、とても参考になります。
      難しいですよね。
      お手伝いをするということは一見「よい行動」だととられがちですし。
      「手伝わないでほしい」ということも言いづらいですよね。
      本当に難しい問題です。
      ただ、言葉で「嫌だ」と言えない重度の子(うちの太郎のように)ももちろんですが、本人が嫌がっていなかったとしても、自立のためにはある程度自分でやらせることも大切です。
      そこにお手伝いしたがりさんが乱入してきて…支援者の方の苦悩が想像できます(;’∀’)
      こうして支援する立場にいる方の声がもっと受け入れられる土壌ができてほしいと思います。
      何かというと障害者ファースト、障害者の保護者ファーストな世界ですから。

  2. チャイ より:

    お世話されるのを喜ぶ子ばかりではない、自分でやれる事はやりたい

    こういう情報がもっと知られると良いですね。

    私は身体障害者と接する事がなく、同じ地方の宝塚ファンで片腕が肘までの子と仲良くなりました。

    荷物を持ったり上着を脱ぐのや椅子を引いたり。何でも手伝おうとしましたが、同じ仲間で小児科医の子から、出来そうな事は時間がかかってもやらせてあげてと言われました。

    承認欲求ではなくただの無知でしたので、ゆっくり見守る重要さに気付かせて貰い感動しました。

    サナさんのブログも知らない事を沢山教えて戴けるので、楽しみにしています。

    1. 稲倉サナ より:

      そうなんです!私も白杖をついて歩いている方、車いすの方など、手伝ってもいいのか、それとも迷惑かな…と悩むことが多々あります。
      先週、NHK連続テレビドラマ「おかえりモネ」のなかで、車いすの陸上選手・鮫島さんのエピソードが放映されたのですが、鮫島さんがモネに言うんですよ。
      いつも施してもらってばかりだと辛い、って。これを聞いたときに、私はなんとなく気持ちがわかる気がしました。
      障害があると、支援してもらうばかりになってしまいがちで、でも助けてもらってばかりなのって、助けてもらわないと仕方がないのはわかっていても、なんとなく落ち込むんですよね。そうしないと生きていけないのかと。私自身は障害者ではなく、その親なだけなんですけど。
      助けてもらうのって、そんなに気持ちのいいことじゃないのかなって、思いました。
      私もこの記事を書きながら、太郎の気持ちに想いを馳せてみました。
      こういう記事を書くのは少し勇気がいりましたが、温かいコメントをいただいて嬉しかったです(*^-^*)

  3. こー より:

    こんにちはl
    分かるようで難しい
    お世話している方は欲求を満たせるけど、受けている方は大きなお世話と、思っているかも知れませんね。
    これって介護の世界でも見られますね。
    人間て上に立ちたい生き物なのかな?
    ババァの出る吹き出物はババァ毒々(^_^;)

    1. 稲倉サナ より:

      お世話してくれる子たちの気持は嬉しいんですけどね。
      でも、手を差し伸べてくれるのは、本当に困っているときだけでいい。
      重度の子でも、自分の事は自分でやるべきだと思うので。
      これは介護でも同じことが言えると私も思いますよ。
      できることは本人にやらせないと、どんどん退化していきますから。
      吹き出物ババァ毒って’`,、(‘∀`) ‘`,、

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