「障害は個性」障害を美化する言葉の違和感

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

先ほどこちらの記事を読んだのですが…

 

 

障害は個性。

 

これ、よく耳にしますよね。

 

でも私。

なんとなく、違和感を感じていたんですよね。

 

 

中学生の息子・太郎が自閉症だと診断された頃に比べると、

 

現在は障害に対してとても理解がある世の中になったなあ、とは思います。

 

障害者や障害児に対する受け入れ体制も、ずいぶん整ってきたと思っています。

 

それと同時に、

 

障害者の認知度をUPしよう、という世の中的な動きも急速に進んできていますよね。

 

その最たるものがパラリンピックなのかな、と思います。

 

こうした動きのなかで、障害という言葉を

 

耳障りのいい言葉として置き換えたのが「個性」なのかな?

 

と私は思っています。

 

上記の記事の中にも書いてありますが、「個性」などという言葉を使っているのは健常者だけで、当事者はそんな言葉を使わない、と。

 

以下は引用ですが

 

障害は個性というと、一見ポジティブに聞こえるかもしれないが、例えば、私に好きな女性がいたとして、「君は顔も性格も個性的だね」と言ったとしよう。どうだろうか。私はほめているつもりでも、女性はバカにされていると思うだろう。

 

そうなんですよね。

 

障害は個性というと、

 

なんかいいこと言った!

 

みたいな、ある意味自己満足的な感情が見え隠れするんですよね…。

 

でも実際「個性的」って褒め言葉?っていうねねー

 

個性的って、他に言いようがないから取り繕うときに使う言葉じゃないかなぁと思うんですけど。

 

英語で言うところのユニークですよね。

 

君はとてもユニークだね!

 

って言われると、それ

 

君、変わってるね

 

って言われたのかと思ってムッとするやつ。

 

あーでも、私ももしかして「障害は個性」って使っちゃってないかな😅

 

私自身もあまり気に入っている言葉ではないし、

 

軽々しく口にしないよう、気をつけようと思いました。

 

同じく記事の中に出てきている「普通」という言葉も。

 

以前、私のブログにも書きましたけど。

 

普通ってついつい使っちゃうんですよね、自分もね。

 

これも記事の引用になりますが、

ある先生のなんてことのない一言で、彼の表情が一変した。

「明日はいよいよ交流会です。普通学校の子どもたちと楽しく遊びましょう」

先生がそう話した瞬間、彼が先生の話の続きを遮って、「普通って何ですか。僕たちは障がい者だから普通じゃないってことですか」と涙ぐみながら言った。もちろん、先生も悪気があったわけではないだろう。言葉の便宜上、何げなく使った“普通”という二文字が彼を傷つけた。私は隣で涙ぐむ彼を見て、心のなかで「そんな揚げ足取りで、わざわざかみ付くなんて本当に馬鹿らしい」と思った。だが、私も次の先生のせりふにより、自分の中の何かが変わり始めた。

「ごめんね。でも大丈夫だよ。障害は個性なんだから」

 

言葉って難しいですね。

普通も個性も、悪気があって使っているわけじゃないんでしょうけど。

 

障害は個性という言葉は良くも悪くも完成度が高い。

普段はなかなか使わない“個性”という言葉を“障害”という明らかにマイナスな言葉と組み合わせることで、ちょっと良い言い回しに思わせてしまうマジックがここにある。

人によっては私の言っていることはへりくつに聞こえるかもしれない。ただ、実際問題、私の周りの多くの障がい者たちは健常者から「障害は個性である」と言われ、困り顔になっている。

仮に障害は個性だったしても、それは、周りの人が障がい者に言うべきことではなくて、自分の障害を受け入れた障がい者が「私にとっては個性です」と言っているときに同調してあげるぐらいがちょうど良い。

 

言葉って、深いですよね。

今日は朝からいろいろと考えさせられました。

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